2月のご提案
「時を楽しむ」です。
1月iku、2月nigeru、3月saru、といわれます。あっという間に1月はなくなってしまいましたか?2002年の5月も同じテーマでした。時間がある人は再度ご覧下さい。今回は少し違った観点で眺めてみましょう。1月に新年の抱負とか今年の目標とかを掲げた方はたくさんいらっしゃると思います。今思い出すことはできますか?さっきまで意識してたでしょうか?どちらでもいいです。そもそも「昔決めたことですから」・・・・・。よく時は流れるといいます。川の流れのように流れているイメージですか?もしそのイメージだとしたらあなたは川そのものですか?それとも岸辺で川の流れを見ていますか?この感覚の違いが時の流れをどのように感じるかの違いではないでしょうか?もし自分が川そのものなら岸が動き去っていくことになります。もし自分が岸に立っているなら川が流れていくことになります。自分が流れに身をゆだねて流れているとき、すなわち時の流れと共に在るとき、景色は変化し続けるでしょう。一瞬たりとも同じ景色はないのです。もし素敵な景色に魅せられて踏みとどまろうとすると(流されないようにすると)流れに抵抗することになります。きっと疲れるような気がします。景色がたとえどんなに魅力的であろうともこだわらないほうが楽に流れて行けるかもしれません。あなたが流れそのもになった時すなわち時間そのものになった時?時間はなくなります。う〜んチョット難解ですか?逆を考えて見ましょう。あなたは岸辺のある一箇所に立って川を見ているとします。すなわち時は流れ続けることでしょう。ただし見慣れた風景がいつも身の回りにあり、チョットした安心感があります。しかしあるときこの流れに身を任せてたらどこに連れて行かれるのだろうか?もっと違うところにいけるのでは?と思うことが起こりそうですね。日常生活で毎日毎日同じことを繰り返していたとしたら・・・・・どうですか?単調さにに飽きる?だからおおかたの人は少し変化を求めます。旅行に行くとか、あまりしたことのないことをするとか、非日常を少し楽しみます。ただ少しです。大きな変化は見慣れた景色から遠ざかり、安心感を奪い、不安が生まれるからでしょうか。急激な変化にはなかなか対応できないですものね。ただここで大切こと?・・あなたは時が流れているのを眺めているだけだということです。だから年だけとっていくことになるのかも?もしかしたら、時に流されるのではなく、自らの意思で流れる事を選択すると、変わり行く景色を楽しみながらいずれ大海にたどり着くかもしれません。話がくどくなりました。要約すると、良し悪しは別にして、「現状に固執するか」、あるいは「気楽に流れるか」でかなり時間の感じが変わりそうですね。何かのヒントにしてください。