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2009年12月10日

手帳を買う時の4つのポイント

このシーズンになると来年の手帳を購入する人も多いのでは?また、手帳術的な書籍も沢山あるし、まるで手帳で収入が上がるような本まで出ています。

何を隠そう私は「昔」手帳マニアだったのです。一部だけ写真上げてますが、左上のFirofaxなんて財布の機能もついてるファスナー付きです。こ れ無くしたらアウトって感じの奴です(笑)左下の細長いのは超整理手帳です。もちろん電子手帳は初期のザウルスは即購入しました。最も使わない高額手帳に なってしまいましたが・・・すべてを経験して?今は携帯の「スケジュール機能」しか使ってません(笑)

自分の経験からですが参考までに、手帳を購入する時のポイントは続きはこちらから

2009年11月30日

Twitter利用で注意すべきは・・・

twitter関連の記事は過去にいくつか取り上げましたが、活用法っぽいエントリーなので今回は少し違った観点で・・・まずはご覧下さい。

こちらでも問題提起されているように少し気をつけておいたほうが良いと思われる点をまとめておきます。

続きはこちらから

今日の夢はなんですか?

夢があるから続けられる!夢はあなたのモチベーション!!

すべての人とは言わないまでも、「先行きが不透明」な人は多いのでは?

続きはこちらから

2009年11月23日

変化しようとすれば必ず「おまけ」がついてくる。

世の中に変化しないものなどありません。もちろんあなた自身も変化します。望ましい変化か、あるいは逆に望ましくない変化か違いはあるでしょう。現状維持を是とするなら「変化しないで欲しい」と思うかもしれませんが、それは無理な相談です。 個人であれ、組織であれ「変化」するのです。

私の挨拶には

最高最大の在り方を基本とし、変化という一貫性を中心に見極めることを忘れない。「一期一会」 今この時、ここだけに存在する自己を純粋に体験できることこそ至福。自分自身を不確定で、無常な存在とし、意識の中で起こる単なる瞬間瞬間の体験的現実だ としなければならない。なんてことを言ってると世の中住みにくいので・・・・・しなやかに?!
と書いてあります。なんだか小難しい感じがするかもしれませんが・・・ 以下に変化しようと思えば必ずついてくる「おまけ」を書いておきましょう。続きはこちらで・・・http://www.bestmax.com/wordpress/?p=391

2009年11月21日

そろそろ構造の変革せなあかんやろ!!

(この記事は関西弁で読んでもらうとええとおもう:笑)

国も、大企業も色々変えなあかんと必死やけど、なんかチャウ気がするのはワイだけか?

アチコチのblogで偉いセンセも仰山書いてるみたいやけど、なんかピンとこんな・・・ワイの頭悪いからか?それもアルやるけど、やっぱり納得できへん!!

今まで、上手いこと役に立ってた構造が、最近焼肉になってきたんやろ!あれ?まちごた!最近役に立てへんようになったんやろ?

で、その構造をそのままにして、なんぼ銭突っ込んでも無駄やろ!!JALとかの話きぃとったら絶対おかしいと思うのワイだけか?続きはこちらでhttp://www.bestmax.com/wordpress/?p=377


2009年11月20日

就職内定率・・・お金持ちと若い人に読んでもらいたい(笑)

就職内定率:来春の大卒者 62.5%で就職氷河期並みに - 毎日jp(毎日新聞)

就職内定率:来春の大卒者 62.5%で就職氷河期並みに

厚生労働省と文部科学省は19日、来春卒業見込みの大学生らの就職内定率(10月1日現在)を公表した。それによると、大学生の内定率は前年同期比を7.4ポイント下回る62.5%となり、下落幅は96年の調査開始以来最大となった。景気の低迷が続く中、就職氷河期並みの状況が浮き彫りになった。

と、なんとなく内定率が低いと「氷河期」とか表現されてネガティブなイメージがあるようですね・・・

続きはこちらへどうぞ・・・http://www.bestmax.com/wordpress/?p=369

2009年11月19日

生まれた瞬間に腕時計をプレゼントされたら

稚拙とはいえ3つのブログをなんとなく書き分けています。どこでUpしようか迷った記事なので興味がなければ飛ばしてください(長いだけです:笑)。

私達は間違いなく死にます(いきなりすぎますか?)ただそれが明確にわからないからなんとなく生きていられるのかもしれません?・・・・・・

続きはこちら、http://www.bestmax.com/wordpress/?p=357

2009年11月11日

決断とは変化を創ることである

その決断は変化を作りますか?

決断する根拠ではありません。決断の結果「何が変わるのか?」です。もし変化が無いなら決断とは言いません。「決めないことを決めた」とか「決断しないことを決断した」とか表現する場合があります(表現する人がいます)これを果たして決断というのかです。結果的に「変化」起きなければ決断とはいえないでしょ。何も変わらないなら決断の意味がありませんからね・・・

人生では意識的に決断する機会が何度かあります。進学、就職、結婚、転職等かもしれません。経営者なら「戦略的な意識決定」などがあげられます。

あまり意識に上らない決断もあります。昼食にうどんにするか蕎麦にするか・・のような決断です。この場合はどちらにしても「あまり変わらない」ので決断とは言いがたいですね。

さて、、あなたは最近どんな「決断」をしましたか?そしてどの様な「変化」を起こしましたか?

もし、何も決断せずに変化を求めるならそれは「依存」でしかありません。少なくともリーダーシップを発揮したいなら「自らの意思決定」が必要でしょう・・・

もちろん、「決断」は先行きがはっきりしないからこそ必要です。明確に見えているなら決断する必要すらないのです。

毎日、少しずつでも変化しましょう!!自らの意思で・・・

あなたは今日「何を決断しますか?」

決断の根拠についてはこちら「決断は一瞬だ!」

おとしもの・・・

落し物・・・

と言っても拾うほどのものでもない

しかし、ゴミとも言い切れない

もちろん私が落としたわけではない・・・ 

落ち葉

知ってますよね?

土は何から作られるか?

植物です。

知ってますよね?

土は誰が作ってくれるか?

微生物です。

・・・

やっぱり都会は合わない・・・

爺になったということか?(爆)

昨日のエントリーとギャップありすぎ?

2009年11月09日

つぶやきデバイスか?NAM(非可聴)つぶやきマイクロフォン

つぶやきつながりで・・・この技術はイノベーションそのものでしょう!!凄いことかもしれません?

応用範囲はかなり広そうだし。

しかし、これが普及すれば、ブツブツしゃべってる人が町中にあふれてるのか?それもかなり異様な光景ですけどね(笑) |

2009年11月06日

Twitterの活用(ビジネスモデル?)

昨日のエントリーに続き少々考察してみたので整理しておきます。

Twitterのユーザーは「何をつぶやくか」を考えていることでしょう。もちろん緩やかな繋がりを意識してつぶやいたり、特定のテーマについてつぶやくのは自然なことだと考えれれます。

これは「ユーザーとしての利用方法」で、仕掛け側?とすれば、つまりビジネスモデルとしてみた場合はどうかというと、昨日の記事のような内容が最もわかりやすいモデルでしょう。

ビジネスとして活用 する場合「何をつぶやいてもらうか」が重要です。

基本的は次の2点

  1. 誰につぶやいてもらうか?
  2. 何をつぶやいてもらうか?

となります。昨日のtabetieでは 「1.不特定多数に 2.飲食店のこと」をつぶやかせているのです。(調子に乗って私もつぶやいてしました:笑)キャッシュポイントも複数見え隠れしてるのでこのサービスは面白いです。

同様に、もっとジャンルを絞ると、メンズ向けかもしれませんが?キャバクラ、風○店等業種を特定するのも思い白いでしょう。

その他ゴルフ、スキー、野球、サッカーなど「競技場」のあるスポーツは面白いビジネスモデルが想定されます。

前者の場合は 1.同じ趣味?の人に 2.お店のサービスや雰囲気等(コストパフォーマンス?)

後者なら、 2.競技の状況やムード(ゴルフの場合は自分のスコアやコースコンデションなど)をつぶやいてもらえればOKでしょう。

どちらも複数のキャッシュポイントがあるのでビジネスモデルと成立しそうです。また利用者もリアルタイムで生の情報が得られるので価値があると考えられます。

その他、病院、学校、役所など少々公的な機関も積極的に取り入れると各種のフィードバックが得られてユーザーからの有益な情報が得られることでしょう。

(どれも、大手企業や、関連サービスを提供しているところは既に始めているのかも知れませんが・・・勉強不足なのでなんともいえないです:笑)

課題としては「モバイル」での利用を円滑にできる必要があるかもしれません。これは特にTwitterに限らず技術的な側面での壁があるのかもしれません。キャリア、あるいは端末の仕様による違いに対応できるよう手間をかけなければならない点といえるでしょう。

他にもいくつかのポイントはありますが、ここで詳細を記載すると冗長になりそうなのでやめておきます。

ただ、上記2つのポイントを明確にし、ある種のポータルサイトだと考えて、

  • 自社で取り入れられるかどうか?
  • どのように取り入れればよいのか?
  • 収益を期待するのか?期待するとすれば、何が(orいつが)キャッシュポイントか?
  • 収益を期待しないならば、何を手にするのか?
 を考察すればよいでしょう。

 

 

2009年11月03日

偉大なコンサルタント:95歳の詩

米経営学者ピーター・ドラッカー 私が経営コンサルタントの仕事をしようと決めるのに強く影響を与えてくれた方です。 会った事はありませんが、彼の著書はほとんど読んでいます。4年ほど前にもこんなことかいてますが・・・

http://ameblo.jp/ttl2/entry-10006075448.html

http://blog.livedoor.jp/ttl/archives/50309761.html

久々に「とても良い詩」を掲載してる記事を発見したので転載しておきます。

(出典は記載されていませんが、誰の詩かどうかより、この誌が多くの人に役に立つと思います)

Apelog

もう一度人生をやり直せるなら・・・・ 今度はもっと間違いをおかそう。
もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。
絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。
この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。
もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。
もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。
もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。
もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・ だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?
自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・
もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。
- P.F.ドラッカー 享年95歳-

http://blog.livedoor.jp/ttl/archives/50218749.html

(S.ジョブスのスピーチです。こちらも一読されることをお勧めします)

2009年11月02日

「全員参加の実験」が「今日の現実」

 1ドル=80円なら介入する:日経ビジネスオンライン

■関連記事を日経ビジネス11月2日号特集「ドル最終章」に掲載しています。  1ドル=79円75銭の史上最高値突破をうかがう動きを見せる円・ドル相場。藤井裕久財務相の「円売り介入を安易にしない」という発言に反応し、円高・ドル売りに走る市場にブレーキをかけられるのか。  かつて大蔵省財務官として、大量介入による円高阻止を指揮し、ミスターYENの異名をとった榊原英資・早稲田大学教授は「1ドル=80円を突破する勢いになったら介入すべきだ」と断言。2004年3月16日以来、財務省が封印してきた円売り・ドル買い介入に踏み切るよう、現役通貨マフィアたちに忠告する。 (聞き手は市村孝二巳=日経ビジネス副編集長)

 

なかなか面白い記事だと思います。大筋はあっているような気がしますが(偉そうなこといえる立場ではないことは承知してますよ:笑)期間の設定みたいな要素が明確ではないのでなんとも言えないといったところでしょうか?

いつの頃からはわかりませんが、日本人は?「早期に結果を求める」国民になったのでしょうか・・・政治家もすぐに成果を求め、マスコミもすぐ結論を求め、企業もすぐに結果を求め、・・・

この繰り返しでは長期でしか「為しえない何か」は実現することは無いのでは?

「平成」という時代だけでも21年が経過しています。20年前に今日のこの日を想定して「事に当たったリーダーはどれぐらいいたのでしょうか?」

一日、一ヶ月、一年で為し得ることだけではなく、10年、20年、50年・・・更に100年、200年で為し得る事を考えるのも悪くないと思うのですが・・・

過去○○年間の壮大な「全員参加の実験」が「今日の現実」

(○○は好きな数字をどうぞ:笑)

決して「戻る」事はできないけれど「学ぶ」事はできるはず。

日本国だけで言えば、諸問題を解決するには「自給率を上げる」この一点に尽きると思うのだが・・・

一次産業を活性化させる長期ビジョンに基づいた、魅力ある取り組み(予算も含め)に舵取りをしてもらいたいものです。

2009年10月29日

今年も山茶花が咲きました。

山茶花

山茶花の花が咲きました。昨年より5日ほど遅いか?

 

毎年この時期になると冬支度を考える。いろんなことが重なるのもそうさせるのかな?今日は決算の締めだったし、来月は誕生日もある。なんとなく年末の前に少し立ち止まり振りかえる機会が多い。そして、なぜか11月の上旬に窓拭きとか、大掃除的なことをしている。へんな習慣か?(笑)


ブログには年に一度だけ山茶花が登場する。

(文末に4年分の記事のリンクを貼っておきます。宜しければご覧下さい)

 

 

毎年一番に咲く花が一番に散っていくのを見て少し寂しい・・

そういえば好きなもみじの紅葉が遅い・・・紅葉せずに散っていくのかな?


「裏をみせ 表を見せて 散るもみじ」 (良寛臨終の句と言われてる)


人生そのものを17文字に凝縮し、全宇宙を内包していると感じます。


今年は一つの決心を書いておくことにしよう。

「1年間でPerfect Listeningを1000人の方に受講してもらう」

この決心を誰が読むわけでもない、しかし生きていれば私は読むに違いない

来年もまた山茶花は咲いてくれるだろうから・・・

少々重たい感じのつぶやきになってしまったかな?

2006年10月11日「花を咲かせる」

2007年11月01日「つもり違い10箇条」

2008年10月24日「景気が良いかどうかより気分が良いかどうかの方が大切?」

2009年10月27日

繁栄してる国・・・?

世界一繁栄している国はフィンランド、日本は16位=調査 | 世界のこぼれ話 | Reuters

[シンガポール 27日 ロイター] 民間研究機関レガタム研究所が26日発表した2009年版「レガタム繁栄指数」ランキングでは、北欧のフィンランドが1位となり、日本は16位でアジア最高位となった。  同指数は、世界人口の約9割をカバーする104カ国・地域を対象に、経済成長や民主主義の度合い、生活の質などの要因を組み合わせて算出する。

とこんな記事を見るに付け本当の豊かさって何だろう?と考える人が多いのかも知れません。

さらにロイターの記事の中にはこんなことも書いてあります。


世界一繁栄している国はフィンランド、日本は16位=調査 | 世界のこぼれ話 | Reuters

レガタム研究所の副所長を務めるウィリアム・インボーデン博士は、アジア各国・地域の順位が相対的に低いのは、民主主義と個人的自由に関する部分でポイントが低いことが主因だと指摘。「多くのアジアの国は経済のファンダメンタルズは良好だが、本当の繁栄はお金だけではないことを指数は物語っている」と述べた。


とまぁ別にいわれなくてもわかってる様なことを言われるとねぇ・・・もしかして日本には「豊かさを満喫するのは好ましいことではない」という文化でもあるのか?

景気も悪いし、いろんな人が言うように「金持ちは消費意欲の少ない年配の人達」に偏ってるみたいだし・・・、お金持ちがお金使わないで誰が使えるの?だから月末になると社長さん達アチコチ走り回らなければならなくなるのでしょう?

それとも国債とか購入して孫から金利取るような金の使い方してるのか?(解説長くなるので省略)


以前こんなことも書いているけど・・・「何を手に入れたい?」

おっと、他人ごとじゃない、資金繰り、資金繰り・・(笑)

昨年の自分と比べて

世の中がどれほど進歩しようと、自分が成長したかどうかが重要かも知れないと思い・・・

昨年の記事を読み返すと(blog書いてて良かったと思う・・・)

景気が良いかどうかより、気分が良いかどうかの方が大切?

とそれっぽいタイトルでエントリーしてるではありませんか・・

読み返してみて、「愕然」!!

まったく成長していない(笑)というよりむしろ退化してるかも(笑)これはヤバイ!!

「知識が増える」「スキルが増える」「仲間が増える」だけでは人格的な成長とは言いがたいし、自分の成長の方向性を再度チェックしなければならない気がした。

瞑想しよう・・・

メッセージの一元管理 「Raindrop」

もしかしたら、こいつは便利かも・・・

モジラ、各種メッセージを一元的に受信する「Raindrop」を開発へ:ニュース - CNET Japan

 

「かつては電子メールがインターネット上で起きる会話の大部分を担っていたが、もはや状況は同じではない。現在の世界の人々は、Twitter、インスタントメッセンジャー(IM)、Skype、Facebook、『Google Docs』、電子メールなどを組み合わせてコミュニケートしている。

何しろ各自が色々な方法で、連絡してくれるので、受信側は色々気を使わなければならない。いっそのこと「○○のみでお願いします」のような私の都合だけで受けたいと思ったこともある。 有名人ならそれもありかも知れないが、私のようなどこの馬の骨かわからん輩が偉そうに「○○だけ」とかしたら1人寂しく余生を過ごすオッサンになりそうなのでやめた(笑)

google Waveあたりも気になるところだが、いずれにせよ、PCのモニターを通して世界を眺めてる気になる勘違いオジサンの私には必須か?

と、キーボードの傍らで携帯メールが・・・ Surprised

どうするこれ?

 

 

2009年10月26日

決断は一瞬だ!!

やるにしろ、やらないにせよ「決断は一瞬」です。

この一瞬までに時間がかかる人と、そうでない人がいます。決断までのプロセスが違うので時間の差があります。

「なかなか決断できない」 「すぐに決断できる」 どちらも決断は一瞬だということを知るのは大切でしょう。

前者は「優柔不断」とか「慎重」と評されるかもしれません。後者は「勇気がある」とか「大胆」と評されるかもしれません。

前者の場合、環境や条件を把握しようとして、時間がかかるようです。(自分の外側に決断根拠を持つ)

後者は自分の過去の経験や出来事に照らしあわすので、あまり時間がかからないようです。(自分の内側に決断根拠をもつ)

あなたはどちらのタイプですか?

良し悪しはありません。しかしながら、混沌としたこの時代において、どちらも「決断の根拠」になりにくいのではないでしょうか?

もしあなたが「リーダーシップ」を発揮したいなら

「可能性を決断の根拠」としなければなりません。過去の偉大なリーダー達は「新しい何か」を求め、その可能性に向けて行動しています。可能性を根拠にする場合は「程よく状況の理解」と「程よく自分の体験」を混ぜ合わせているはずです。

「可能とは常に合理の外側にある」のです。

冒険・挑戦なくして「未知の分野」に飛び込むことはできないでしょう。

政治家であれ、経営者であれ、リーダー的立場の人は「明確な将来像を描き、その実現に向けて活動」しなければならないでしょう。

是非大いなる決断をし、チャレンジしてみましょう。

「何のために」「何をなすのか」これが、社会の為になると「あなた自身が感じる」なら前例があろうとなかろうと「あなたが決断」すればOKです。楽しみましょう!!

こちらの記事も参考になるかも知れません

 

2009年10月24日

とぃってr・・・(爆)

タイトルはもちろんTwitterです(爆)

 

「と言ってる」って読めるのが面白い

 

Official Google Blog: RT @google: Tweets and updates and search, oh my!

twitterとgoogleがくっつく、つまり、リアルタイムのつぶやきを検索するってことみたいです・・・

マイクロソフトともくっついてるみたいだし・・・

Twitterって3年前は影も形もないようなサービスだったのに急成長ですね。

同様な機能はSNS内でも取り入れられてるし・・・・

誰かの「ひとりごと」「一言」「つぶやき」・・・リアルタイムの状況を提示する。そして緩やかに繋がった人が反応する。SNSのようなコメントに対するケアとかの気苦労?は少ないし、そもそも勝手なつぶやきに反応しているだけだから、呟いてる人も お気楽だ。

ただ、リアルタイム検索となるともちろん「速報性」とか「今の話題」に敏感に反応するので、「現場」で呟いてる誰かの情報を掴めるのはいいかもしれない。

ディズニーランドで今何が起きてるの?

交通渋滞がどんな状況?

天候、イベント、など「その時その場」を伝える機能として見れば有効なツールになるかな。。。もう既になってるのか?

経営的にも「リアルタイムマーケティング」とかの言葉でイベントの告知等に使われることは十分予想される。

企業側は「どの様に呟かれるか十分に対応しておかなければならないだろう」

ちなみに私の昨日の呟きは

玉置弘一 (hirotamaki) on Twitter

読まれるブログとかはやはり「時事」を扱うみたいだな。。。と言ってもその気はないけど(笑)いつ読んでも役に立つ(かもしれない)記事で書き連ねたい

と、まったくもって逆のことを言ってる(爆)

「ひとりごと」ですからね(笑)

ちなみにこのエントリーのカテゴリーはもちろん「空のつぶやき?」

2009年10月21日

無知の知

有名なのでこの言葉は知ってる人も多いでしょう。細かいことはコチラWikipediaに譲るとして、

  1. 「知っていること」を知っている
  2. 「知らないこと」を知っている
  3. ここまでは「私は知ってる/知らない」と自分で表現できることなので、誰でも了解できる。

  4. 「知っていること」を知らない
  5. 「知らないこと」すら知らない

この2つはまず自覚がないので、誰でも了解できるとは言いがたい。当たり前か?

おまけに「4.知らないことすら知らない」という範囲が圧倒的に大きいというか多いこのが現実でしょう。

で、この記事で何を書きたいかというと、仕事上でも、生きる上でも、我々は「自覚できる範囲」でしか考察できないということです。

知識を積み上げも知識の山ができるだけで最終的には「無知の知」を知ることになるでしょう。

もし、あなたが「仕事で成功したい」「人生を豊かにしたい」と考えているなら、「知ること無しに行動」する事をお勧めします。

「何かを知る」ことが重要なら「知識を増やせばよいでしょう」

「何かを得る」ことが重要なら「行動を増やせばよいでしょう」

いくら考えても、「自覚できる範囲」を超えることはないのですから・・・

知識を知識のまま保有していても何も生み出しはしないのです。一昔前に「創造的破壊」という少々過激な言葉がありました。この言葉だけを知っていてもなにも現実は変わりません。「創造的破壊」という言葉通り「活動した人がいた」から現実にも変化が現れたのでしょう。

過去にそれなり事を成し遂げた人たちは、事業であれ、研究であれ、芸術、スポーツ、文化・・・どのような分野であれ「活動・実行」をした人達です。彼/彼女達はもともと知識があったのではなく、実務的に行動して手に入れてきた知識あるいはそれが昇華され知恵として価値があるのでしょう。 自らの体験によって会得した知識に価値があるのでしょう・・・。だからこそ「知ること無しに行動」する事をお勧めします。

「何かを知る」ことが重要なら「知識を増やせばよいでしょう」

「何かを得る」ことが重要なら「行動を増やせばよいでしょう」

いくら考えても、「自覚できる範囲」を超えることはないのですから・・・

 知りてな見そ、見てな知りそ・・

(注)この記事は「おとな」を対象にしています。あまりの無知はやはり危険ですから(笑)

2009年10月13日

学欲?

学力について考えてみた。(受験生を持つ親として?)

学力を数値化(主にテスト)する必要性、あるいはその数値で測定した結果を「評価」として使うことの価値を考えてみただけではあるが・・・

学力ってどんな「チカラ」なのか?

身体機能の握力とか、脚力と同じように「チカラ」の数値化をする必要があるのだろうか?またはできるのだろうか?あるいは、機械性能やその他のモノの「○○力」と同じように数値化する必要があるのだろうか?・・・

学校教育などの基本は「人として成長」するよう設計されているのか?(そうであって欲しいが・・・)

学力テスト等「試験」は概ね「知識力」であり学力というより「暗記力」のような気がする。

論理的に「考える」といっても論理を支える知識が必要なのは明白だ。とすると学力という言葉はどうも不適切で、試験日までの教育の結果、すなわち「知識蓄積量」の測定をしているだけではないのか?

学力とはそもそも「学ぶチカラ」なのでは?更に踏み込んで表現をすれば、「学びたい」この気持ちの強さが「学力」ではないのか?とすれば、数値化するのはナンセンスでは?更にその数値を「チカラ」として序列をつけているのは滑稽だ。また他人と比べる必要もないだろう。完璧には 同じと 言えないが、「食欲」「睡眠欲」「性欲」と似たようなものだ。 むしろ生理的欲求に近い・・・「まさか点数化して比較したり序列をつけたりはしないだろう(笑)

現在の義務教育現場はよく知らないが、「生徒だった」自分の経験からすると、

「より上手く生活できるように」という教育だったようだ・・・

本来は「よりよく生きるように」ではないだろうか?

親としてわが身を省みるなら、

「成績が悪くても、役に立つ人となれ」

「主体的であれば何をしてもOK、何をしなくてもOK」

と子供達に伝えている。果たしてどうなることやら・・・

ただ、逆説的な表現になるが、その結果現在の私が居るのだからなんとも言いがたい(笑)

「学欲」さえあれば、いついかなる場合でも学べる。

「万象ことごとく師なり」といったところか?

 

こちらも関連するかな?

 

2009年10月03日

今日が最後の日だとしたら・・・

suiteki.JPG

 

 

”Dreem as if you'll live forever. Live as if you'll die today."


「永遠に生きるがごとく夢を見よ!! 今日死ぬがごとく生きよ!!」

  ・・・・James Dean

 

 

本当に こんな風に生きてる人がいます。

もしかしたらあなたのすぐそばにいるかも知れません?

前半の「夢を見る」のはなんとなくできてても、後半の「生きる」ところはどうかなぁ・・・

 過去にも同じ記事を書いてますが、思い出したのでも再UPしておきます。

 

 元気出そうぜ

みんな!!(爆)

 

 


「メアリー・オノプチェンコ ~葛藤~」

 

笑うことは 愚かに見られる危険を冒すこと

泣くことは 感傷的に見られる危険を冒すこと

人とふれあうことは かかわりあう危険を冒すこと

気持ちをさらけ出すことは 拒絶される危険を冒すこと

人前で自分の愛を語ることは 嘲笑される危険を冒すこと

愛することは 愛されないという危険を冒すこと

圧倒的な不利を承知で前進することは 失敗の危険を冒すこと


しかし冒険せねばならない なぜなら人生最大の危害は

何の危険も冒さないことにあるからだ

何の冒険もしない人は 何もしない 何もない 何でもない

苦難と悲しみからは逃れるかもしれないが

学ぶことも 感じることも 変わることも

成長することも 愛することもできない

自分の確信に縛られて奴隷になっている

自分の自由を失ってしまったのだ

冒険する人のみが自由なのだ


―保証ではなくチャンスを探せ

―人生はどうあったかではなく、これから何がおこるかである

―人生は旅であって目的地ではない

―欲しい状態を手にするには現状を手放さなければならない

―依存は相互同意による奴隷制だ

―矛盾―安定の欲求を手放せば安定を得る

―人生をそっとしのび足で歩いて、安全に死に到達しようとする人がいる

―先延ばしにする癖は、ほとんどの人が直すのを引きのばす欠点だ

―敵が欲しければ、誰かを変えようとすればいい

―成功とは、もう一度立ち上がることだ

―望むのは、本当に手にする意思のあるものにせよ

―問題から逃れる最善の方法は、それを解決することだ


今日が地球で生きる最後の日であるかのように生きよ

いつの日か そうなる!

この詩は、メアリー・オノプチェンコが時ならぬ死を迎えた夜、-1988年9月9日-彼女の財布から見つかったものです。彼女の兄弟であるアレックスが埋葬の日、彼女に代わってこれを読みました。

 

2009年09月30日

Blogを読むということ・・・自己の発見か?

rubin.JPG

Blog を読むのは人それぞれの理由があるでしょう。

しかし、一体誰が読んでいるのか?自分に決まってますね。

記事の書き手と面識があれば、その人をイメージしながら読んでいると思われます。更に、親しい人が書いてるなら、純粋にテキストだけを追いかけているいるわけではなく、「声の調子」、「表情」なども浮かんでいることでしょう?

ところが、知らない人が書いてる記事を読んでいる時はどうでしょう?(もちろん、これはblogに限ったことではなく、本などに代表される「書かれているもの 全て」に言えることです)

自分の頭の中に「架空の人物」を想起し、その人が語る内容を聞いている感じでしょうか?

ここで「記事」が自分にとって「心地よければ」(役に立つとか、共感できるとか・・・)の場合、想起された「人物」に好感を持つのかも知れません。

他方、自分にとって「心地よくなければ」(くだらないとか、反感を覚えるとか・・・)の場合、想起された「人物」に対して否定的な感情を持つのかも知れません。

ところで、「想起された人物」とは?・・・もちろん自分で作り上げてるので、「自分の中にいる、もう1人の自分」となります。(少々ロジックに粗さがあることは承知しています・・・笑)

ん?つまり、結局「自己評価」してるということになるのではないでしょうか?

とすれば、「否定的感情」、「異論」を持つ記事にこそ、自己の成長可能性が潜んでいるのかもしれません。

この人は「何故、こんな風に書いてるのか?」 「自分にない価値観はどの部分だ?」 「何故、共感できないのか? 」・・・といった考察をすると違った発見があるかもしれません。

Blogを読むことは、単に「知識」が増えるという良さはもちろんのこと、「自己発見」や「自己成長」のきっかけになる「偶察性」を秘めている事がとても重要な要素なのかもしれませんね・・・

ちなみに、Blogを書く理由は以前書いてるのでまぁなんとなく。。。

http://blog-de-katari.seesaa.net/article/57645411.html

2009年09月29日

まとまった時間

matomari.JPG 緊急でもなく重要でもない、しかし一定の時間がかかることが予想される作業。

趣味の範囲や、複数の雑用等がこれに当たるかな?

今日は急遽アポイントがリスケされたので、予期せぬ「まとまりのある時間」をとることができた。

チョット気になっていたサイトの修正。

名刺の整理・処分。

拾い読みしかしていなかった本を読破。

裏庭の草むしり。

ゴルフ用具の手入れ。

・・・・・

と今日は一気に片付けてしまいスッキリした気分。

 

月末なので気ぜわしいからこそ余計にありがたい一日となった。

リスケされたので仕事は先延ばしになってしまったが、相手のある事だから 仕方がない。

私よりも重要で、緊急なテーマを抱えていたのだろう。。。

 

できれば、もう少し前に、リスケの連絡をもらいたかったなぁ・・・

そうすれば河川敷でラウンドできたかもしれないのに(笑)

しかし、ゴルフに行ったら、今日手に入れた「スッキリ感」は無かったのか(爆)

 

 

3,700億円ってどう?

 

この数字何だか絶叫マシン並に激しすぎる(笑)

タイトルにあるようにヘッジファンドのマネジャー達(リーマンショック前)の年収です。

Millions ?? 一瞬ピンと来ないので、1$=100円計算、自分が間違ったんじゃないかって思える・・・

John Paulson さんの年収3,700億円!!!!

この数字がまた、微妙に面白い金額で3700億円をググルとディズニーがマーベルを買収する金額だったり、13年経過の自動車廃車の補助金予算が3700億円だったりするのです。

彼らが違法に稼いだわけではなく、金融ビジネスの一番美味しいところを持っていた?持って行った?ということでしょう。こけそうなところに公的資金(税金)つぎ込んで何とか維持させられている大手金融機関のすぐそばにこんなに稼いだ人がいるんですね(爆)

んでもって、世界中がビックリするようなリーマンショックが起きて、日本は不景気なまま今日に至る ・・・って所でしょうか?

地味にコツコツ仕事してもまともに稼げないのに、なんだかアホらしくなる。彼らも物凄く仕事してるだろうけど?・・・・・仕事のフィールドが違うとはいえ(あるいは国が違うとはいえ)日本の資産家といわれる人達が何年もかけて築いてきた金額をたったの365日で稼いでる(爆)・・・一体何に使うのかな?

瞑想さえしてれば、本来満たされる私にとっては「有るも無い」も同じですが、ここまでくるとさすがに呆れる。

「立って半畳  寝て一畳  息子は立っても※インチ(爆)」

※はご自分のを当てはめてください!女性の場合は彼氏に教えてあげてください!gyaha!

 

 

注)このエントリーはどこかのサイトで拾い読みしてインスパイアされましたが、どこだか彷徨いすぎてわからなくなりました(w)本来はTBしたかったのに・・・ すいません、先に取り上げた方には失礼しました。

2009年09月13日

BESTMAX.COM

hitachi.jpg

bestmax.com

このドメインを取得したのが今から12年前の1997年。振り返れば激しく進歩したインターネット環境やそれを利用するデバイス機器。。。とてつもなくありがたいと思う。

1995年11月23日深夜零時に秋葉原に行って win95を購入!その日はまるで大晦日の夜のように秋葉原は人だらけだった。

自宅に戻りそれまでのOS(MS-DOS ver.3.5xだったかな?)に新しい95をインストール。。。

激しく格闘して使える状態になったころには朝になってた(笑)

名刺にメールアドレスを書いても、私の周辺にはほとんどメールを使ってる人がいなかった様で、雰囲気だけになっていたような気がする。何しろダイアルアップでネットに繋いでいた時代ですから。。。。

ノートPCなんてべらぼうに高額だったし、物凄くヘビーな代物(写真のPCは使い勝手が良かったですけど・・・)学生時代にPCを少し触って(当時はマイコンと言ってたような?)緑色の文字のモニターで、インベーダーゲームとかで遊んでた頃ははるか昔だし。。。。

いつの間にか、複雑な仕様であまりいじれなくなったハード類は「使えればイイか。。。」

これは車のエンジンをいじるのと同じで「昔はかなりカスタム仕様?」にしてたのに今じゃ「動けばイイか。。。」

だんだん年取るわけだ(爆)

子供達がニコ動のライブで遊んでるのを傍目にみて羨ましいと思うのはやっぱり「おやじ」か(爆)

2009年09月12日

親父の小言

oyaji.jpg

皆さんも一度ぐらいはどこかで見聞きしてるのでは?居酒屋の壁に貼ってあったり、箸袋に書いてあったり・・・・

朝はきげんをよくしろ
人には腹をたてるな
恩は遠くからかへせ
人には馬鹿にされていろ
年忌法事をしろ
家業には精を出せ
働いて儲けて使へ
人には貸してやれ
女房は早くもらえ
ばくちは決して打つな
大めしは喰うな
自らに過信するな
火事は覚悟しておけ
戸締りに気をつけろ
拾は届け身につけるな
何事も身分相応にしろ
泣きごとは云うな
神仏はよく拝ませ
人の苦労は助けてやれ
火は粗末にするな
風吹きに遠出するな
年寄りはいたわれ
子の云うこと八九きくな
初心は忘れるな
借りては使うな
不吉は云うべからず
難渋な人にほどこせ
義理は欠かすな
大酒は飲むな
判事はきつく断れ
貧乏は苦にするな
水は絶やさぬようにしろ
怪我と災は恥と思へ
小商ものは値切るな
産前産後は大切にしろ
万事に気を配れ
病気は仰山にしろ
家内は笑うて為せ

朴訥な表現、無駄のない表現な中に、親父らしさがにじみ出てる感じですね。

「一言一言の内容を吟味する」より、「丸ごと受けとる」ことが大切かもしれません。

「 コンテンツ」より「コンテキスト」と言い換えればいいのかな?

コミュニケーションは「言い方」と「聴き方」で完成する・・・・by kuu

2009年07月22日

そろそろ不自然なことはやめてみないか?(笑)

SN3J0026.jpg 日食を見るには曇天でよかったのかもしれない。。。裸眼でも三日月のような太陽が見れるのはありがたい。晴天ならとても無理だろう。ただし、全ての影が「三日月」の形になるのも見てみたかった(笑)

自然の「法」はとても精緻ででありながら何も無理を感じさせないのは脅威ですらある。

誰もが絶対に遵守なければ生きていくことすら困難である。それに引き換え、人間が作った「法」はその時々の為政者達が都合の良い様に作り、解釈されているのでとても無理がある。更に言えば、法を犯す事は罪になり罰を受けると言う定め。。。これとてずる賢くすり抜けて知らん顔で生きている人達も多いことだろう、見つからなければOkと言うことか??

しかし、自然の法を犯せば、必ずしっぺ返しが来る。あえて「eco」な話題をする必要もないが、環境の破壊という「罪」は必ず将来に「罰」が用意されている。大気汚染、水質の悪化・・・今のままのマインド(資本主義的マインド?)で活動を続けていけば何世代か先には極悪な環境になってしまうだろう。最もその前に浄化されるかもしれない。もちろんこの浄化作用こそが自然の法を犯した罰ということになるだろう。おまけに近代社会が開発した技術、あるいはその技術によって作り出された作品群?はあっという間に駆逐され元に戻される。自然の前ではあまりにも無力だということを実感するのかもしれない。ただ実感する前に「我という意識」すらなくなっているのか?

 

人間にとっての「秩序」は、自然から観ると「無秩序」

自然の「秩序の方が優先される」のは当然だろうな・・・・

 

 

2009年05月16日

モノ?

ycar.JPG

特にECOなエントリーと言うことではなく、なんとなく「モノ」について考えたみた。と言っても常々そう思ってることなので個人的には新しい発見があるわけではない。ただ、このような(写真の)サイトを見ると物凄くはっきりと認識できる。

そもそも人が作った「モノ」はそれがどれほどの手間をかけて作られかどうかにかかわらず、いずれは「ゴミ」となる。天然のままの「モノ」木とか石とかをそのまま加工しているならゴミと表現できないかもしれないが、大方はゴミである。

そう考えると、我々は(経済社会は?)耐久年数が長いか短いかの違いこそあれ 、「いずれゴミとなるモノ」を「商品」と称して製造し、それを購入しているわけだ。身の回りにある「モノ」で例外はほとんどない。

もちろん、モノ 「自体の価値」より モノが「提供する価値」 にお金を支払っているのである。

(お金はその意味で特殊ではある)

自分にとって思い入れのあるモノでも、他人からみればガラクタと言うこともあるし・・・・

あらためて考えると「土地の値段」も概ね経済価値で評価されているので「極論すればゴミの価値」 なのか?田舎と言われる「豊かな自然に恵まれた土地」の方が安いのはありがたいのかも知れない。おそらく、健康的なライフスタイルだし、ゴミも少ないような気がするのは気のせいか?

まぁ「便利さ」という価値は少ないかもしれないが、十分に人生をエンジョイできるだろう・・・

便利さを手に入れるために、必死に仕事をして ゴミに囲まれた地価の高いエリアに住み、健康を害してしまっているとすればとても滑稽である。

本当に大切なのは「コト」として体験する。その体験のために 社会が機能するよう、グランドデザインを変更する賢人が現れない限り、「モノ」に囲まれたライフスタイルが続いてしまうのかなぁ・・・

 

 

2009年04月23日

見たいようにしか見えてないかも?

次の2つをご覧下さい。

まずはChalie Chaplin

次は龍が動いてるわけではありません。しかし、龍の目が追いかけてくるでしょう・・・(Paper dragon)

 

どうですか?

我々は「・・・なはず」という思い込みでしかモノを見てないかもしれませんね。見たいようにしか見えないのは、過去の経験が「正しいはず」という思い込みでしょうか?もちろん大方はそうかもしれませんが、たまには「正しくない」事もあるのでは?

2つの動画は「顔は鼻の部分が高いはず」というデータ(経験)が蓄積されていて、そのデータが「正しいように見ようとする」 つまり「自分に都合のよいよいうに」フィルターをかけているのでしょう・・・フィルター無しで見るには難しいですね

モノを見るだけではなく、「自分の見方、考え方」は「自分にとって都合のよい正しさかもしれません」

たまには「まったく違う見方.考え方をする」のも悪くないかも?

そうでないと見逃す「事」があるかもしれません。

 

2009年04月05日

何もしない方が良いかも・・・

2009momiji.jpg 経済危機克服のための「有識者会合」

特に専門家ではないので的外れかも?

しかし、どうも違う気がするなぁ・・・

人為的に長きに渡って積み重ねられた「すべての活動」が今日の社会を作ってきたのは明らかで「必ずしも専門家」の思い通りになってないだけでは?

有識者とは一体誰なんだろう?過去のどこかに「似たような条件」があったのかもしれないが、過去のどの時点にも「同じ条件」が無いのだから「これからの施策」の有効性は誰も想定することはできない。せいぜい「有識者達の期待が一致する」程度だろう。

実は圧倒的大多数の「国民」と呼ばれる、彼ら(有識者)からは「顔」が見えない人が社会を構成している。

そこには「国民」とか「一般人」とか「市民」とか「普通の人」 。。。というよな人はどこにもいない。

それぞれは「個人」として「名前もあれば顔もある」

老人も「○○さん」であって一人ひとりの人生観に基づいたライフスタイルを持っているはずだ。

 

計画経済が十分に機能しなかったのは壮大な実験によってわかっているのではないのか?

「国民はそれほど計画的に生きてるわけではないのだよ!!」

資本主義も行き詰ってきているのではないのか?

「国民はそれほど馬鹿ではないのだよ!! 」

「必要なものと、欲しいものを区別する」知恵はもう十分に持ってるいるはずだし、マスメディアに煽られるほど無能ではなく、個々人が「自分の価値」を知ってるはずだ。

時が来れば、誰にとっても最適化された社会が創出されていると考えるのは甘いのかなぁ・・・

*写真はこの時期のもみじ、桜が注目されてる春に、秋の準備を始めている。。。

こちらは昨年

 

2009年03月27日

大人って?

nekoha.JPG 先日、30代半ばの若者3人と会食をした。

彼らに初めて出会ったのが、私がまさに30代半ばで彼らはまだ学生だった。

今思えば、「失われた10年」という時代を生きてきたのかもしれない。

3人はそれぞれ、自分で人生を創造し、たくましく生きてきている。顔つきも当時とは違い「青年」になっている(その分こちらはオッサンになっているのだが・・・)

仕事に誇りを持ち、やりがいを感じているようで好印象だ。昨今の景気の悪さを理由に「業績不振を嘆いているオッサン達」とはまったく違う感性で社会を見ているのかも知れない?彼らが発している「輝いている意志」は世の中を明るく照らすことだろう。

いつの時代も「大人」は「若人の輝き」を奪ってはいけない、それどころか、彼らの輝きを増大させるべく援助すべきであろう。 描きうる最大限の夢を実現するためにはほんの少しの経験と大いなる好奇心さえあれば十分だ。「新たなる価値創造は、柔軟な思考と冒険することでのみ生まれる」。したり顔した大人の合理を笑いながら、まっすぐに突き進んで欲しい。。。

自己保身ばかり考え、将来の不安に備えてるだけで、偉そうにしてる「そこらのオッサン」と会話をしても恐らく面白くないだろう。

彼らの行く手を少しでも地ならしできる大人で在りたい。

若人に対して、年齢ではなく、生き方でリードできるのが本当の「大人」なのかも知れない・・・

 

2009年02月14日

金融政策とか・・・

warabi.JPG どうも、おりこうさんん達?と言うか色々な専門家が昨今の景気の悪い状況を打破しようと、ごちゃごちゃしてるようだ?

お金の周辺だけいじってもきっと効果はあまりないと思うのは私だけだろうか?「100年に一度」の経験をしていると言われているが本当だろうか?実際は世界の経済環境も、国々の状況(国力?)もまったく様変わりしており、この100年間に経験したことがないことはずだ。つまり「誰もが未経験」なのだ。

それなのに、過去からの延長でものを考えているのはいかがなものか?

「価値がある」と考えられているものが「価値がなくなっていく」

この大きな変化を見逃してはならにだろう・・・

未来は不連続且つ非線形であり、変化のスピードは加速度を持つことに注目しなければならないだろう。

資本主義の内包的問題として「もっと、もっと」という「人間の欲に際限がない」にもかかわらず、「際限のない欲に応えきれない」ことは明らかだ。

変化を嫌う生き物であるにもかかわらず、変化をしなければならない葛藤が見え隠れするのが現在社会なのかもしれない?

量をテーマにしたモデルではなく質をテーマにしなければならないだろう。

企業や組織レベルでいえば「収益=社会貢献」というごまかしはもう意味を成さない・・・

個人レベルでは「どれだけ稼いだか、あるいはどれほどの資産があるかではなく、どんな生き方をしてきたか?  」を問うべき時期なのかも知れない。

個々人がこの問いかけに明確に呼応するなら、企業や組織さらには社会や国という「概念」そのものを変える力になるだろう。 社会や世間あるいは世界は個人の集合体でしかないのだから・・・

これ(過去のエントリー)は少し参考になるかもしれないなぁ・・・

2009年01月21日

オバマ政権誕生!でどうする?

bcs.jpg

大統領に就任した彼に世界が熱狂的に注目してるのかな?仕事柄どうしても「経済や経営」にどう影響するかを考えたくなりがちだけど、実際はもっと大切な何かがあるのかもしれないなぁ・・・

彼のスピーチに

・・・the God-given promise that all are equal, all are free, and all deserve a chance to pursue their full measure of happiness.・・・

という部分がる。このあと拍手が起きる。この言葉がどのように感じ取れるのか、英語と日本語の違い、あるいは「God」 に対する個人的な印象などを考えるとなんともいえない・・・もちろん演説はこの部分だけではないし、ある種のスローガンと実務は別物だ。今後彼がどのような具体的な施策を打ち出してくるかに注目したい。

成長事業分野?に投資するのか、あるいは衰退事業分野?の延命を行うのか・・・利害関係者の調整をはかるだけでも大変だろう、しかしそれ以上のリーダーシップを発揮しなければならない立場なのかもしれない。

熱狂的に騒がしい時期はいずれ静まり、冷静な判断と的確な行動を必要とする時期はすぐに到来する、いや既にその時なのか?

同時に日本においても、「自己保身ばかり考えるお馬鹿なリーダー」、「やたらと騒ぎ立てるマスコミ」 ではなく、

「献身的に社会をリードする人」、「事実を事実として報道するマスコミ」を期待したい。

と書きながら、「今日のあなたは、昨日のあなたと比較してどうなのか?」と問われたら、何と答えてよいのかな(爆)

2008年12月11日

達成感

最近どうも不景気感が社会を支配している気がするのは気のせいか?

色んな業種の経営者と話して将来に対して明るい展望を描くことが困難になってるようだ・・・ 自信を失っているといってもよいのか?

torisakana.JPG

こんな時期には小さくても良いので「達成感」が必要ではないだろうか?

「何かを達成する」ことはそれ自体に価値があるのは「本人」にとって当然であるが、更に重要なのは「達成するまでのプロセス」そのものに価値があることだろう。ゴールに向かって迷い無く進むことができるなら、非常に力強い姿がイメージできるはずだ。多少の困難やストレスは「鮮明なゴール」の前ではかすんでしまうだろう。

さて問題は「達成したいゴール」を何にするのか?ここがポイントである。

前述したように「小さくても可」である。膨大な時間をかけなければならないものより、「実行したかどうか」が毎日確認できるテーマが良いかもしれない。単純な繰り返しでもかまわないだろう。

ポイントは「あえて実行する必要がある」テーマを選ぶことだ・・・

年末も近いことだし、「ガラクタ捨て」等もよいかもしれない。机の引き出しを一段づつ毎日やるとか・・・一週間もすれば綺麗に整理整頓され、必要なものだけが残った仕事環境が手に入っているはずだ。自宅なら一枚ずつ窓ガラスを磨いてみるのも良いだろう。ピカピカに輝いた窓を見てきっと気分が爽快になると同時に「達成感」が手に入っているはずだ。今年お世話になった方に「毎日1人、メールでも電話でもかまわないのでお礼を伝える」のもよいかもしれない。些細なことかもしれないが、だまされたと思ってやってみると良い。驚くほどの「自己信頼」が手に入るはずだ。 このことは即ち「自分の生きる活力となる」に直結するだろう。

 

「あえてする必要のある」継続的活動が結果として大きな成果に繋がるのである。ここで言う成果はもちろん「自己信頼(自信)」というとてつもなく価値のあるパワーの根源だ。

こんな時期だからこそ、故P・Fドラッカーの「イノベーションと企業家精神」が必要ではないだろうか?

 

関連図書になるかな?

イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集)

ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門 (小学館文庫)

2008年10月26日

景気が良いかどうかより、気分が良いかどうかの方が大切?

sazanka1024.jpg

景気が悪くなって、国の指導者達?が色々と考えているようだが、過去にも似たような局面で色々と施策が打ち出されてきた。もちろん「似た様な」というだけで同じではない。しかし「似たような施策」しかでてこないだろう・・・

「お金」あるいはそれ相当の価値があると人々が判断した結果が今日の社会を作ってきたのだから、何に価値があるのかを問い直さない限りはパラダイムは変わらない。

もしかしたら、大きな間違いを世界中で起こしているのでは?「価値があると思い込んでいる」だけで実際は勘違いだったなんてことはよくあることだ・・・過去のオランダのチューリップ、日本のゴルフ会員権・・・

有価証券を含めモノの値段は「お金」で表現される、価値があると判断すれば「一般的には高くなる」。しかしお金そのものが「有価証券」でその基準がどうも明確ではないのが「今の時代」なのかもしれない。

お金は便利な道具であって、それそのものに価値があるとすれば「使うことの便利さ」だけである。使わない道具は価値がないと考えられないだろうか?ちょいとわかりにくさがるのは「劣化しないと思われてる道具」だからだ・・・「劣化しそうになると価値が上がりそうな”何か”を買って保有する」・・将来に投資するというやつか?それほどまで「資産価値」を増やしたいのだろうか?単にコレクションとして趣味程度でよいのかもしれないのに・・・

道具は保有することで役に立つのではなく、使うことで役に立つのであるのだから・・・

タイトルの「気分が良いかどうか」は個人の価値観。「お金を使って遊ぶ」「お金を儲ける」・・・お金を中心にした気分の良し悪しは旧来ののパラダイムそのものなので「見直し」をした方が良いかもしれない ・・・

お金が価値を失ったとき、何を基準に生き、どのように行動するか?

また、学ぶべきモデルはどこにあるのか?一人ひとりがそろそろ準備しておいても良いかもしれない・・・

とまぁ、このあたりのテーマに深入りすると面倒なのでこの辺でやめておこう(笑)

写真は裏庭の「山茶花」、10月24日に咲いた。昨年より一週間ほど早い。http://www.bestmax.com/bmblog/2007/11/post_3.html

2008年09月14日

”Google Chrome”使うか?その前に頭をデフラグしよう

neko11.JPG インターネットという便利なインフラを利用して様々な情報を手に入れたり楽しんだりできるのはPCのモニターにテキストだけではなく、画像や動画を一定のルールに基づき「表示」されているからに他ならない。

学生時代に初めて手にしたPCを表現することすら難しくなっている程の進歩!!(30年前だから当然か?)

ブラウザも15年ほど前からモザイク、ネスケ、IE、FF・・・( Macユーザーはsafariが多いか?)わずかな期間でものすごい変化だと思う。

”Google Chrome”今のうちから使いこなす方がいいのか?事業としてGoogle社を考察すると(といってもそれ程詳しくリサーチしているわけではない、開示されているデータを読むぐらいだがが・・・)Google社が今後「何をどのように展開するのか」興味が尽きない。ブラウザに限って言えばIEからの乗換えより、FFからの乗換えが多いと考えるのは妥当だろう。なんといってもデフォルトでIEを乗せてるのケースがほとんどだから、ユーザーは不便が無ければそのまま使うだろう。”不便そのものを感じる機会が無い”といってもよいほどだ。

長らくFFを使ってるとIEには戻れない!!しかしGoogle Chromeに乗り換えはたやすい気がする。こんな風に感じるのは私だけではないはずだ。チラッと覗く程度から本格的に利用するまでは2つのブラウザーを使って比較するようになるのか?複数マシンのうち一台は既にGoogle Chrome仕様だし(笑)

IT分野だけではなく、新しい商品やサービスが提供されてくると「何それ?」っと興味を持つ"癖”を何とかしないときりが無い。もちろん自分の職業には適切な癖ではあると思うが、「頭が忙しすぎる」・・・

せっかくの休日だし「頭をデフラグしよう」 Smile

 

 

 

2008年09月08日

20年・・・

20year.JPG 日々いろんなことが起きるのは今までもこれからも同じだろう・・・

20年という時間がどれほどの長さに感じるかは人によって違うのは当然だ、若い人にとってはこれからの人生が長いのかも知れない・・・年配の人には今までの人生の方が長いのかもしれない・・・

自分の経験以外は実感を伴わない幻のような出来事なのか?

http://www.afp.com/english/afp/?pid=events/20_years_coverage

AFP(フランスの通信社)がスライドでアッと今に20年を振りかえらせてくれる。世界的にみるとどうしても戦争の歴史に見える・・・それ以前もこれからもそうなのだろうか???

はるか遠くに思い巡らすこともできず、日々の生活の充実と穏やかなひと時を楽しむだけで過ぎ去っていく時間はそれほど悪くはない。適度な刺激とともに、ささやかな夢の実現を志す・・・・

 

いまいまといまといふとき いまぞなく
いまといふとき いまぞさりゆく

 

ついでに、もう一つ、こちらはスケールの大きさからこんなこと言ってる場合じゃないって感じですが・・・

Impact Simulation

 

こちらもチョット思い出した(笑)

http://blog-de-katari.seesaa.net/article/57645538.html

2008年08月30日

便利さと豊かさと・・・

fall.JPG 集中豪雨や毎日おきる雷雨は一体どうしてなのかな?

地球レベルで気候の変化が起きているのだろうか・・・

人間が便利さを追求し、より快適な生活を手に入れると何かが失われていくのかもしれないなぁ・・・

手に入るということは、すなわち「どこかから」奪ってくることだとしたら・・・

科学技術に立脚した?経済社会(資本主義)的「便利さ」は必ずしも「豊かさ」を提供するわけでではなく、単に不自然な状態を創造しているだけかも?

とは言うものの、今更「原始社会」のように自然の脅威にさらされながら「不便」な生活に誰も戻ることはできないだろう。

ほんの数十年前(私の子供の頃?)からみても、現在の社会はものすごく変化している、更に幾何級数的に変化のスピードが上がるとすれば一体どんな社会が出来上がるのかな?

楽しみでもあり、恐ろしくもある・・・

決してエコロジストでもなく、現在の便利な社会の恩恵を受けてる身としては、内面に沸き起こる不自然さと向き合うと、どうしても自然回帰の衝動が起きるのは仕方ないだろう・・・

豪雨の中を傘をさす事もなく、雨滴の刺激を全身に受けながら歓喜する、あるいは酷暑の中を汗だくになりながら意味なく歩き続け朦朧とする・・・・こんなアホなことをあえてやってしまう自分はやっぱりおかしいのか?

久々のエントリーにしてはチョット重い感じかな??

 

 

 

2008年07月07日

いい夢 見よう・・・

Stunning Wallpapers [from www.metacafe.com] #1.jpg

 

まさか明日空が落ちて気やしないだろう・・・

杞憂というのかな・・ 

最近の報道などを見聞きすると、どうも将来に対して不安を抱かせる(煽る)ような記事がおおいなぁ・・・

万が一の為に・・・確かに可能性はセロじゃないだろうが、やっぱり「万が一」だということにフォーカスしたほうが少なくとも積極的・肯定的に現状認識でき そうな気がする。

 

使い切れないほどお金をためて、なおかつ老後の心配をしている社会・・・

子供達の将来を考えてと言いながら、子供の主体性を育めない社会・・・

醜いまでの利権争い・・・

自然の環境を金で買うという愚行・・・

何かが違っているのかも?

 

将来に対して「不安」を見るのではなく「夢」を見続けたいものだ

Dream as if you'll live forever. Live as if you'll die today.

永遠に生きるがごとく夢を見ろ。 今日死んでしまうがごとく生きろ。

~James Dean~ .

 

2008年03月22日

米国出張:ショートインプレッション(英語で書けってか?)

3年ぶりの米国、円高(というよりドル安か?)のおかげでちょっと得した気分になれたのはありがたい。  

(前回とは訪問した地域が違うのでなんともいえないが・・・)

  • 不景気な印象はやはり強い、ショッピングモールでも改装中とは思えない閉店が目立ったような気がする。
  • サブプライムローンは「若い人に高額な住宅ローンを組む点」で始めから無理があるのは当然だ。それを闇雲にに金融商品に組み込むから更に複雑になってしまったのであろう、結果としてかどうかはよくわからないが、「短期の小金を貸し出すshopがとても増えている」様に感じた。日本のサラ金みたいな感じか?
  • 携帯電話ショップやipod関連のshopも増えていえるように見受けられた。
  • TVコマーシャルは健康関連(ダイエットやアンチエイジング)が非常に多い。
  • ダイヤモンドレーンという車線が上手く機能している。2人あるいは3人以上乗車している車のみが優先的に走れる車線で渋滞がほとんど無い?圧倒的に一人乗車が多く、省エネの観点からか、移動コストの見直しをしたようだ。 
  • アパレル関連のshopは減っているような気がした、代わりにスニーカーなどの靴屋が増えていたような気がしたが、これは気のせいかもしれない・・ 
  • 写真は大型DVD shop「FYE」  日本のアニメ の英語版がものすごく多い!かなり古いものもあるが、最近のタイトルも豊富(メジャーなタイトルだとDeth noteなど・・その他かなりマニアックなタイトルがあった!アニオタとしてはこんなものまで英語版になってるのかと感心してしまった)
  • オリエント嗜好のレストランが増えているのではないだろうか?なんとなく健康によさそうな印象を持っていえるようだ、実際はかなりアメリカナイズされたオリエンタル料理なのでなんともいえないが・・・ fye.jpg
  • それでも将来は明るい?・・・子供の人口は増えているし、流入人口も多いので結局「若い力」が次々に育ってくる予感がある。日本の超高齢化社会とは逆で若者が多いのはやはり長期的に見ればパワーとなるのではないだろうか? 無責任にたくさん子供を生んでいるわけではなく、子供を育てていける環境があるからだろう。国土が広く土地や資源も十分ありそうだし、楽観的といえばそれまでだが、将来を不安視している人の数が少ないのかもしれない?学校などの新設もあるようだし。 

    日本は国土の大きさからしても人口密度が高く、更に都会に人が集まると、都市部は非常に住みにくい環境になってしまう。ココは一つ大胆な発想で、東京、大阪、名古屋、・・・と巨大都市は年齢制限を設けて若者だけが(あるいは高齢者だけが)居住できるようなことを考えてみれば面白いのではないだろうか?そうすることで様々な変化が起き、新しい国になるような気もするのだが・・・

最後のコメントはとにかくとして、なんとなく将来を楽観視するような雰囲気がアメリカにはあるようだ・・・(これも個人的な印象なのであてにはならないが)それに比較すると、どうも日本の将来展望を楽観視している人は少ない、逆に楽観視すると「こいつは馬鹿か?」と言わんばかりの目で見られる!

まるで、注意深く、悲観的に将来を見るほうが、思慮があり利口であるかのような社会だ!

私のような、楽天家は非常に軽く扱われるのはどうも腑に落ちない(笑)

注意深く、楽観的に将来を見ることも可能なのに Cool

 

2008年01月15日

整頓か混沌か・・

 
このセンスは面白い!!
 
見てわかる通り、本来なら「きちんと片付ける」のかもしれない洋服など
無造作に放り投げて引っ掛けてお終い。
 
まさに「お仕舞い」である。
 
見た目がどうか、あるいは尖ったものに引っ掛ける事で衣類などの傷みはあるかもしれないが、この着眼点は実に見事な気がする。
 
本来の「べき論」をまったく根底から覆すような収納スタイル!! 
本質的には新しい「何か」を生み出す視点のひとつである。
 
企画やデザイン、更に言えば、経営戦略の見直しにいたるまで、個人でいえば「生き方」の見直しの良いヒントになるのではないだろうか?
 
もっとも、子供の部屋を見れば「こんなの普通じゃん」とかいって軽くあしらわれそうであるが・・・ (笑)
 
 

2008年01月10日

変化

prestage.jpg 変わろうとしているのか?

変えようとしているのか?

昨今変化だの変革だの「変わる」と言う言葉が多い気がする。

良し悪しの評価には時間が必要な事は言うまでもない。

しかし、元来「生きるとは変化そのもの」だとすると 我々はありがたく変化を楽しむ方が理にかなっているのかもしれない。

人間社会のルール、規則、制度などは概ね「変化しない価値観」を読み込んで策定されているのではないのか? そうでないと無限の方向性を含む必要がある。つまり無理だと言うことになる。人口統計など数学的に読み込める変化はさほど難しくは無い(それとて予想外の展開はありうるが・・・・)。しかしその時々に移ろう価値観は読み込むことは不可能だろう・・・

つまり、「大まかに把握できる範囲において、何となく推定できる期間だけに通用するかも知れない変革」 を謳うのがせいぜいである。それ以外は「変化する"リスク"」と捉えていえるのか?

推理小説なら面白おかしく展開を予想したり、どんでん返しを楽しんだりする事も可能だろうが、現実の社会での変化は生活に直結する。 明るみに出てきた様々な不祥事や事件と同じように「その場を凌げば何とかなる・・」的な変革ではいずれ鍍金がはげてしまうだろう。

一昔前の常識は今日通用しない・・つまり いつかまた今の常識やルールが通用しなくなるときがくる。

政治とか 経営とか 教育とか・・・全ての領域において 我々は日々変化しているわけだ。

変化を避けて通れないなら「積極的に”固定”を捨てる」この方が自然だし、主体的である。

富の固定化、既得権、格差の固定化・・・これらの変化は自ずから崩壊という変化が起こるかもしれない・・・なぜなら、これらに固執する人たちは”捨てる”勇気を持ち合わせていないだろうから・・・

 

現状に感謝しつつ

現状に拘ることなく

現状を変化させる

 

このプロセスこそが創造!

変化という果実を味わおう!!

2008年01月09日

笑う門には福来る・・

smile.jpg

今週あたりから仕事が始まる・・・まぁ新年早々悲壮感を漂わせて無駄に暗い雰囲気を作る事もどうかと思う。仕事始めぐらい馬鹿笑いで始めるほうが誰ににとってもいいのではないか?

「ぬるい」今年の冬は既に春になったような気さえする。

陽だまりの中で戦略を練る まったりとした時間を過すのも悪くは無い。

経営者にとって年末年始は数少ない「休んでも許される時間」このタイミングに体調不良になる社長は多い。

日頃の緊張感が解けて、知らずに溜ったストレスが一気に身体に反応するのかもしれない。

身体が「休みなさい」と言うメッセージを発信しているのだから無理に動く事無いだろう。

何しろ先は長い・・・

 

笑いは健康のバロメータとも言われる。よく笑う事で免疫力が向上するとも言われている。

仕事が沢山溜っているなら笑いながら進めればよい・・・

人間関係を修復したいならまず笑顔だろう・・・

何もする事がないならただ笑えばよい・・・ 

しかめっ面してるより、笑い顔のほうがいい顔だと思う・・・

もしあなたが今一人でいるなら、「ワハァッ  ハァッ ハァッ・・」と声を出して笑ってみるといい、最低3分続ければ「笑いそのものに自分がなってしまう」

笑うねたが無くても意識的に笑い始めることで、無意識に笑いがこみ上げてくる感じを掴む事ができるだろう。

もちろんその時は最高の笑顔になっているはずだ。 

 

 

 

2008年01月04日

行動?

syosa.jpg 我々の行動はどのようにして「起こる」だろうか?
あるいは起こすのか?

意識的な行動は、その手前で必ず何がしかの「考え」がある。当然その手前には「考え方」があるはずだ・・・

考え方は独自性を持つ場合も多く、時として他人は「自分では絶対起こさない行動」をする。

ココまでは何となく大雑把ではあるが わかる気がする。

しかし、無意識的な行動はどうなのかなぁ・・・

育った環境などに大きく依存するような気もするし、危機回避などの時は本能的に最も適切な行動をとるのかも知れない。いずれにせよ、己の行動には責任を持っていた方が良い。

振る舞い、しぐさ・・・無意識な行動やちょっとした弾みで出てくる言動にも十分注意深く醒めていたいものである。 

 

2008年01月02日

結果として手に入れる

背筋を伸ばす・・・

姿勢良く居るために「背筋を伸ばす」という言い方は良く使われる。しかしなかなか背筋を伸ばす事を意識し続けるのは難しい・・・

 

結果として背筋が伸びるようにすれば良い・・

ではどうするか?

後頭部を上に上げれば良いのである・・・

結果として「背筋は伸びている」

後頭部を上に挙げる意識と背筋を伸ばす意識はまったく違う事に気が付くだろう・・・

なぜなら背筋を伸ばす事を意識すると背筋などの筋肉を意識する。

 

しかし、後頭部を上に上げる意識には筋肉はあまり関係ない・・あくまでもイメージでできる事だ。

この違いが実に大きいと思うのは私だけだろうか?

ひとつ先を思考することが結果を手に入れる事に繋がる。

「結果として手に入る」よう いろんなテーマで考察するのは役に立つかもしれない・・・

「結果として売上が上がる」  「結果としてコストが下がる」  「結果として楽になる」 ・・・・

売れる仕組み作りの肝はこの辺りにある。

もちろん姿勢の話と経営の話はまったく違う。ただ基本的な考え方は同じではなかろうか?

「凛」なかなか良い響きがある文字である。文字に季節感があるし、姿勢がよくなる言葉でもある。

 

 

2008年01月01日

迎春

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明けましておめでとうございます。

関東地方は非常に穏やかな正月になりました。子供の頃体験した寒さはなく 環境の変化を誰でも感じると思います。

通常の月末月初と違い1年の節目として正月を新たな気持ちで迎える事は生きるうえで大いなる知恵かもしれません・・・

TVを見ても面白いと感じなくなってしまったのは自分が年をとってきたからかもしれないなぁ~と感じながら、元旦から営業しているお店の「福袋」「福箱」を買い求める事が 正月のパターンとなってしまっている・・・

もともと 年賀状は返事しか書かなかった私であるが、メールでの挨拶が圧倒的に多くなっている。もちろん年賀状の雰囲気をあしらった ファイルを添付してくれる人もいれば、テキストだけの人もいる。

我々の親の世代が高齢になっているために喪中の知らせも多くなって少々寂しさがあるものの、高度成長期を作って人たちでもあり、バブルを謳歌してきた世代でもある。 全ての人が というわけではないであろうが、今の社会にかなりの影響を与えている事は否めない。 良し悪しは後世の歴史が一定の評価をする事になろうが、「人間万事塞翁が馬」というように 時々の評価を 「そうかもしれませんね・・・」 と軽く受け流しながら、達観した心理状態で過ごしたいものである。

自然環境の変化もさることながら、経済環境も大きな変化があると思われる昨今  企業は利潤を求め続ける事で何かを失っているかもしれない 、経営コンサルタントという職業に「誇りと自負を持ち、社会貢献する」この姿勢を徹底して生きていこう。


 

 

 

2007年11月25日

どちらが綺麗かな?

一日遅れではありますがほぼ満月・・・

地上にはクリスマスを予感させるイルミネーション・・・
 

moon.jpg

どちらもそれぞれに綺麗さはあります。月のほうが綺麗に感じるのは年齢のせいだろうか?それとも人工的な美しさに少しばかり違和感を感じるからだろうか?

今宵、瞬間とはいえ立ち止まって写真を撮ったのだから、やはり月が私に夜空を見上げるようにメッセージを贈ってくれたのだろう・・・

毎晩イルミネーションは燈っているのだから・・・ 

冬の関東地方は乾燥していて空気が軽く、透明感が気持ちよい。

暖かい11月の3連休、遅めの紅葉を楽しんだ人もいるのかな?

庭の山茶花はもうすぐ散ってしまう。
もみじは紅葉を見せる事も無く枯れてしまうだろう・・・

 

うらを見せ

おもてを見せて

散るもみじ

 

2007年11月03日

つもり違い10箇条

異常に暑かった夏も流石にどこかに行ってしまい、朝晩は冷え込みを感じるようになってきた。

sazanka1101.jpg

庭先に最初の山茶花が11月1日に咲きました。

昨年は10月11日(http://blog-de-katari.seesaa.net/article/57645535.html)3週間ほども遅れて咲いている。自然はいつも一定の条件が整うまでその姿を現さない、いや自然そのものが大きな姿として現れているのだから当然かな?人為的な活動はいつも自然とは違い無理がると感じるのは年をとっていたからかも知れない。

 

 

 

 

 

 

立ち読みした本の一部を紹介しておこう

●高いつもりで低いのが教養
●深いつもりで浅いのが知識
●厚いつもりで薄いのが人情
●強いつもりで弱いのが根性
●多いつもりで少ないのが分別
●低いつもりで高いのが気位
●浅いつもりで深いのが欲望
●薄いつもりで厚いのが面皮
●弱いつもりで強いのが自我
●少ないつもりで多いのが無駄

 

 

2007年10月06日

影・・・

適当な考察として、少々スピリチュアルな感じがしないでもないが・・・・

完全なる球体をイメージしてその影が平面に映し出される、つまり「影」は「円」になる。当たり前です。立体(3次元)の影は平面(2次元)で形を現す。とすると4次元の影?がわれわれが認識している3次元の世界なのかな?

球体と円は容易にイメージができるが、こちらのサイトにあるようなガラクタの立体の影が見事な平面状のシェイプを映し出すと、もしかしたら我々はガラクタの影でしかないのかも知れない・・・ 

いずれにせよ、認識できる範囲でしかないのでなんとも言えないが・・・