死について

On 2010年11月15日, in 3.人生・問いかけ, 6.空のつぶやき?, by hirotamaki

自殺を勧めるわけではありません。

これは最初に書いておかねばならない。

あなたが指一本でも動くなら決して自殺してはなりません。

昔、こんな記事を書いて新聞に取り上げてもらったくらいですから。しかし、景気が悪いせいか、あるいは将来に対して夢を描けないのか、残念ながら日本では毎日100人程の人が自殺している。自殺と判断されない、あるいは家族が世間体を考えて病死としているケースもあるでしょうから、実際はもっと多いのかもしれません?原因は個々人の内側に奥深くしまいこまれ、誰にもわからずに亡くなってしまうのでしょう。大変残念なことです。私はブログでも今日が最後の日であるがごとく毎日100%生きることを、悔いなく生きることを伝えています。古いところではこんな記事とか

しかしながら自分が死ぬ日は必ずや訪れることは間違いありません。それが明日なのか何十年先なのか特定できないだけで、毎日「その日」に向かっているということは確かでしょう。実感があるかどうかではなく「生まれたという”原因”で死ぬという”結果”を自動的に確定」させているのです。死に方には沢山のバリエーションがあります。しかし究極の原因は誕生したことに他ならないわけです。この事は現在の境遇がどうあれ、全ての人に公平に与えられている(設定されている)唯一の条件でしょう。

明日地球がなくなるとしたら、今あなたは何をしますか?というような問いかけはなんとなく現実味がないので、「○○をしたい、そうは言っても・・・」と普段と変わらない過ごし方をしてしまう方も多いのでは?

そこで、チョット違う切り口で自分を振り返るのも良いかと思います。

「もし、あなたが今、突然死んだら何を残しているのでしょう?」

家族は「残している」のではなく「残っている」のです(遺族というほうが正しいのかな?)。あなたの意思には関係なく(といったら少々寂しいですけど)。財産ですか?それとも仕事上で成し遂げてきた実績ですか?それとも趣味で集めたものですか?一体何を残して逝ってしまうのでしょう?形あるモノはいずれ無くなります。私の場合だと大切にしてるゴルフクラブなどは粗大ゴミそのものでしょう(笑)

身近な人には「思い出」として記憶されることも確かでしょう。どんな風に記憶されるのでしょうか?

そもそも、あなたは「何を残したい」ですか?「価値ある何かを残せる様に生きる」のも悪くないかもしれません。

たとえば「愛」とか「学」とか・・古い人物では、キリスト、釈迦、孔子、老死、孟子・・・その他、近年でもマザーテレサとかキング牧師、あるいは科学者・哲学者・・・「偉人」といわれる人達が残して来た「価値」が今日の私達に「影響」を与えているのではないでしょうか?どうせならカッコ良く逝きたいでしょう?若くして華厳の滝で投身自殺した藤村操(下記)は影響を与えた人物ですが、個人的には自殺であるが故に好ましいとは思えません。とても残念です(下記参照のこと)。

藤村操 – Wikipedia

巌頭之感

悠々たる哉天壤、 遼々たる哉古今、 五尺の小躯を以て此大をはからむとす、 ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、 萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。 我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。 既に巌頭に立つに及んで、 胸中何等の不安あるなし。 始めて知る、 大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。

100年以上以前の人物です。昔なら存在そのものすらわからなかったかもしれません。いまやネット上に情報として色んなものが「残されています」自分が生きてきた証として、いろんな方になんとなく記憶される程度でも「好ましい影響」を与えることが可能な時代になりました。もちろんネット上のみならず、広く世間に語り継がれる「何か」を提供できれば生きた甲斐があったと言えるでしょう。たとえそこに自分の名前がなかったとしても「何か」が残ればとても素晴らしい人生だと思います。

ちょっと重たいエントリーなので次もお口直しにどうぞ

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http://www.bestmax.com/wordpress/?p=69

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