この本の内容はとても古いです。著者のオイゲン・ヘリゲルの昭和初期の体験です。ドイツ人である彼が日本の文化・あるいは日本人の細胞の隅々まで染み込んでいる(かもしれない)「何か」を会得したかに見受けられます。師弟の会話と弓の修行から、理解しがたい何かを心のうちから発露させてみようとするヘリゲルの取り組みは、読者に弓の経験があろうと無かろうと感じることができます。

日本の弓術 (岩波文庫)

本は薄いですが、内容は濃いです。

全文引用しても良い程度のページ数ですが、少しだけご紹介しておきます。

・・・射手が自分自身を的にして、しかも自分自身を的にするのではなく、すなわち時には自分自身を射中ててしかも自分自身を射中てるのではない・・・

・・・術のない術とは完全に無我となり、我を没することである。あなたがまったく無になる、ということが、ひとりでに起これば、その時あなたは正しい射方ができるようになる。・・・

ね?禅の公案みたいでしょう?コレだけだと読む気が失せるのかもしれませんが、本書を読むとコレがなんとなく掴めるでしょう。その他にも沢山引用したい部分がありますが、誤解を与える危険性がありますのでこの辺にしておきます。

禅に興味がある人なら読んで損はないでしょう。(他にはこの辺りの本を検索すると良いかもしれません。日本人と禅

さて、今更この本を何故お勧めするのか!極めて個人的な趣味「ゴルフ」に通じるからです。

ここから先はゴルフを趣味にしてる方には多分役に立つと思います。

ゴルフは弓はとてもよく似ている「スポーツ」だと考えています。

「ターゲット」がある

「飛んでいくモノ(矢・ボール)」がある

「飛ばす(弓・クラブ)」道具がある

「器用に動く ”手”を 使う」

「静から動」

「敵がいない」

「結果は自分が作り出す」

少々長いですが、次の引用部分を読むとゴルフが更に奥深いものになると思います。

・・・養由基(人名)は柳の葉を百歩の外から射抜くことが百発百中であったのに反し、孔子の「射」は百発成功であった。即ち孔子は弓に依って正しき心の把握に成功した。而してその正しき心が天地に充満する有様であったので、観者はその神々しさに感激したという例を執り、弓道の精神は養由基の百発百中にあらずして、孔子の百発成功に在る。「射」は人格完成の手段であって正しき「射」を修行すれば、一射ごとに人格の向上を計りうる。而して一箭ごとに完全な自我が宇宙と合体しうるのである。・・・

とまあ大そうな事が書かれています。

しかし、少なくとアマチュアある私のラウンドでは

「トップしてFWセンターのドライバーショットより、手ごたえ充分なハザードへの打ち込み」

「ヘボショットでピンに絡むより、手ごたえ充分なショットでグリーンを外す」

このほうが気分は良いのです。もちろんスコアは絶望的にダメです(笑)

この事は(自己正当化し、慰めとして的に書いておくと)「百発成功を意味してる」のではないかと思わずにはいられないのです。

ゴルフでは「ゾーンに入る」という状態で何もかも上手くいく時があります。PGAの優勝者がインタビューで「自分が何をしたか記憶にない」と語った人が居たそうです。まさに「無我」だったのでしょう。こんなラウンドが出来れば本当はスコアも良くなる筈なんですが・・・

私にとってゴルフは瞑想そのものであり、禅の作務(と言っても雑事ではないですよ)そのものです。興味があるならこちらもお勧めです。

禅ゴルフ―メンタル・ゲームをマスターする法

弓と禅 改版

ではでは。

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