「最近の若者」と表現した途端に自分がオッサンになるのは承知してますよw。我が家には3人のteenagerがいます。若者というより子どもです、しかし、侮れない存在です。

若い人(ここではM1,F1のイメージです)に対して、どちらかと言えば社会(一部の評論家やマスコミ?)は「昔に比べて元気が無い」とか「お金を使わない」とか古い価値観をそのまま当てはめようとする傾向があるように感じます。「大人達は景気が低迷してしているから刺激したい」のでしょう。同時に「若い人達に有り余るほどのお金があれば違った行動になるのかも知れません」が私は少し違った見方をしています。

選択眼が肥えた

物が不足している時代は選択肢が少ないので、「それ」しか選べなかった。例えば車が一種類しか無ければ「比較することすらできない」ので消費者は単純に「買うこと」しかできません。これは車に限らず、ありとあらゆるモノについても同様です。PCであれ、携帯であれ多品種かつサービスも多様化しています。食品・衣料・趣味娯楽・どの様な分野でも、現在は商品やサービスが多様化し溢れかえっているので、私たち消費者は「賢い選択」をしなければなりません。オッサン達は「有名メーカーで沢山宣伝してるモノ」を買う程度の選択眼しか持ってなかったのかも知れません。それに比べると「若い人達は子供の頃から身の回りに商品や情報が飛びかう環境で育った」ので選択眼がもの凄く肥えていると考えられます。

広告に踊らない

相変わらずマスメディアの煽り広告に踊って「無駄な物を買い物する世代」も多いです。しかし、広告が広告であることを見抜く力が「自然と養われている若い人達」が激増しています。特定の商品やメーカーの広告に踊ることなく、友人に尋ね、ネット上ではどの様にバズられているか合理的に考察します。そして購入に際しても最安値で購入する手段の持っています。大手の押し付けを華麗にスルーし、自らの選択眼と合理性に基づいてお金を使うライフスタイルが身についているのでしょう。これらの行動パターンを「半径5mで生きている」とか「自己中」だと表現するのは旧式のモデルのライフスタイルです。

モノではなくコトに時間やお金を使う

これはもう言わずもがなの内容です。特に社会性の高いボランティア活動やNPO活動に一生懸命取り組む人も増えているような気がします。草食系男子と揶揄されても個人的な価値観で社会貢献しているのではないでしょうか?見方を変えると「優しい人達」です。これは環境負荷をを考えても素敵なライフスタイルかも知れません。車やバイクに乗らず自転車や徒歩、酒は飲まずに自家製のジュース、身体にも自然にも優しい生き方が「大人以上に賢者」の様な雰囲気さえ感じます。「自らの体験にお金や時間を使う人達です」。気合とか根性というラベルは最も不似合いな若者は、気合と根性、ついでに忍耐と努力で、高度成長を日本にもたらした世代からみると物足りない感があっても当然でしょう。

自分らしさを研ぎ澄まし社会に役立てたい

野心や独立心がないわけではありません。ただ旧来の方向性と違っているのだと感じます。車、家、ファッション・・と昔の若者が関心を示したモノを手に貪欲に入れたい訳ではなく、「自分らしさ」を手に入れたいのでしょう。人間関係が希薄なわけでもありません。誰かの役に立ちたいという社会的な欲求もとても強いです。ネット上では有益で役に立つ情報を提供している若い人が大勢います。相互扶助的なリレーションも多く見受けられます。Blog、SNSは代表的なものです。自己の存在を表現する方法が多様化し、車や家などが、持っていた(かも知れない)社会的ステイタスとしてのシンボルが不用になったのでしょう。


その他にも若者が「賢者」と見える要素はたくさんあります。年寄りにならなければわからない「体験」に価値ある事は間違いありません。彼/彼女達も年をとれば自ずと解かることです。それも実感として手にするはずです。だから先輩として、自説を説教臭く述べても響きません。

そなん若い人達に「今の環境」を準備したのは、他ならぬ(私たち)オッサンだということも大事なことです。この社会が受け入れられるかどうかは「若い人達の判断です」、受け入れないとしたら、「新しい社会を創出してる時期です」。私たちも同じことをしてきたのですから・・・

若くもなく、かといってオッサンとしては未だ鼻タレなkuuの戯言でした。

こちらも関係します。「若い人達へ・・・もっと弾けて欲しいなぁ」

ではでは。

Enjoy your life!!

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