物であれ、事であれ、更には人であれ、あなたが「何らかの価値を付けるまでは存在しません」私達はすべての事象に「価値付け」します。それが肯定的であったり否定的であったりするだけです。その価値付けに従って行動を起こします。「善悪」「好嫌」「損得」「長短」「大小」「美醜」「多少」・・・・・どんな価値であれ価値付けした当人が「そのように行動・反応します」

あなたがいつも歩いている歩道に「小さな糸くず」が落ちていたとしても、おそらく気にならないし、目もくれないでしょう。邪魔になるわけでもないので「存在」すらしていないはずです。では、大きな石ころがゴロゴロあったらどうでしょう?多分邪魔になるし危険を感じるかも知れません。「邪魔」「危険」という価値をつけたあなたが、あなた自身の行動を「普段の行動と違う様に仕向けるはずです」

犬好きの人は犬を見て可愛いといい、猫好きの人は猫をみて可愛い言います。しかしどちらにも興味がない人は「無視」という価値付けをします。「見えてはいても」存在しないのです。あるいは嫌いなら「噛まれそうで怖い」「引っかれそうで怖い」と思い「恐怖」を感じるかも知れません。「だから避ける行動をとる」でしょう。

ところで、左上のシャチの画像「笑ってるように見えますか?それとも怒ってるように見えますか?」おそらく、キャプションで「笑うシャチ」とつければ「そう見える」し、「威嚇するシャチ」とすれば「そう見える」でしょう。そもそもシャチの画像をどれだけ意識していたのでしょう?

人は自分が常に考えているように経験する

これは外界のすべての事象に当てはまります。だから「観る」「聴く」「感じる」等、「五感」からインプットされる刺激に「価値付け」をし、反応してる事に注意深くあらねばなりません。会話においてあなたが聞いてることと、実際に話者が話している内容には「確実に違い」があります。「あなたの価値付けのパターン」に従って、見たいように見て、聞きたいように聞いています。

あなた固有の観念に従って「経験する」わけです。些細な事柄にいちいち注意深く居る必要はありません、「自動反応」でいつものように対応するほうが効率的だし、間違いが少ないでしょう。

しかし、人生の岐路、重要な決断をするときは「自分の観念」を見極めながら「評価・判断」をし、新たな「価値付け」をするほうが好ましいと考えます。いつものように「価値付け」すると、いつものように「行動し」、いつものような「結果」になります。
当たり前です。

同じことをして違う結果を手に入れようとするのは愚かなことである

あなたが意識的であろうとなかろうと、「価値付け」をしています。だから「起きた結果に対して全責任を引き受ける必要があります」けっして他人のせいでもなければ、環境や条件のせいでもありません。

「今、ここ」に起きてる現実は「あなたが選択して生きてきた結果です」
幸い、「結果そのものに対して」価値付けをすることが可能です。今の結果に対してどのように価値付けするかで「次の結果」が手に入ります。

この繰り返しが生涯続くのです。どうせなら

「自分にとって価値ある人生を手にする」

よう、この瞬間に全力を注ぎましょう!!

一瞬懸命!!

ではでは、

Enjoy your life!!

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