今回は書き始めるにあたり、自分が冷静になろうと心がけます。対話ならテーブルをタタキながら喋ってるかも?

まずはこちらをお読みください。

池田信夫 blog : 自動車や石油火力は原発より危険である – ライブドアブログ

自動車は普遍的に事故を起こし続けます。日本だけでも年間約5000人の命が失われ、多数の負傷者が出続けています。[・・・]しかし、私たちは自動車や飛行機を放棄しません。それは、リスクの存在を前提として、そのリスクよりも利便性のほうが上回るという認識を共有しているからです。しかし、原発のリスクはそれらをはるかに上回ります。一旦事故が起こると(事故の規模にもよりますが)、相当程度の国土が汚染され・・・

内田樹氏と同じような思い込みが続くが、自動車のリスクを「年間5000人」と書くのなら、同じ基準で原発のリスクを比較しないと不公平だろう。日本の原発事故の死者は、これまでゼロである。2名の死者が出た東海村事故は核燃料加工施設だが、それを入れても年間0.04人。少なくとも「原発のリスクは自動車をはるかに上回る」とはいえない。

(中略)しかしリスク評価に必要なのは絶対値である。発癌性で考えても、タバコを1日1~9本吸い続けることによる生涯のリスクは、3.4シーベルト。原発作業員の被曝限度の14倍である。あなたが原発を恐れるなら、まずタバコをやめたほうがいい。

追記:ごくまれに大事故の起こる不確実性については、被害の最大値を最小化するMin-Max原理が使われることもあるが、これで考えても最大2人しか死んでいない日本の原子力は、バス事故で数十人が死ぬ自動車より安全である。

兵站と局所合理性について (内田樹の研究室)

小学生にもわかる「リスクヘッジ」を誰も実行しようとしないのは、一極集中したほうが「効率的だ」と思っているからである。
もちろん「金儲け」にとっての効率である。
その判断は間違っていない。
けれどもそれはいわゆる「局所合理性」に基づけば、ということである。
短期的・局所的に考えれば合理的なふるまいが長期的・広域的に考えると不合理であるということはよくあることである。
集団の中で一部の人間だけがやる場合には利益を得るものがいるが、集団のほとんどがやりだすと誰も利益を得ないという営為は局所合理性の典型である。(中略)

火力発電や水力発電や太陽光発電や風力発電と比べたとき、原発は局所的には(費用対効果という点でも、環境負荷という点でも)きわめて合理的な選択だが、全体的には合理性に乏しい選択である。
短期的・局所的な「金儲け」に限定すれば、原発は正解である。より長期的・広域的な「国土の保全と民生の安定」を基準に採れば、原発は正解ではない。
日本人は、そのような小学生にもわかる単純な理屈がわからなくなっていた。
日本人はようやくそのことに気づいただろうと思う

池田氏は経済性の観点から原発推進派だと思います。内田氏は経済の合理性を否定はしないまでも、「いつまでも続かないんじゃない?」というような見解ではないかと思います。さらに、危険だから「疎開しましょう」と別の記事に書かれています。

私は各自の見解を出来る限り素直に読んだつもりです。しかし「原発は反対なので」どうしても内田氏に一票入れたくなります(疎開しろとは決して言いませんよ)どちらの御仁も社会的に影響力がある方だと思いますが、どちらも学者です。さて、上記引用部分に戻りますと、池田氏は事故の発生と死者の数を比較して「自動車より原発が安全」という結論を導いています。この幼稚なロジックだけに影響されて「原発推進」に傾く人がいるとすれば残念ですが、どうもコメントなどを読んでみると結構いそうです。

脊髄反射的に呟いたのがこれ

なぜ車と原発を比較して原発が安全(交通事故より死者が少ない)とかいうの?馬鹿じゃないのか!個々人が注意できるかできないかでしょう。車は各自が注意してリスクを引き受けられるけど、原発は個人レベルでは手が打てないなから「反対」してるんでしょ。今直ぐ無くせとは言わんけど。Sat Apr 02 01:38:10 via web

個人レベルで手が打てるかどうか?が観点として抜け落ちています。人は時にお馬鹿な行動をします。タバコのリスクを承知で喫煙をするのも典型的です。さりとて、「やめろ」と強く言えないわけです。車の事故で亡くなる方もいます。こちらも同じです。

なぜなら、「自分がリスクを引き受けられる範囲の行動」だと思っているのです(それでも他人や社会に迷惑はかかるのですけど) 喫煙や自動車事故と原発を比べるのは風呂で溺れて死ぬのと海で溺れて死ぬを比べてようなものです(いや、それ以上か?)

私達は自分で何とかできると思うことにはリスクを引き受け、その代わりに「利便性」であったり、「趣味・嗜好」を満足させる事を選択でします。しかし、原発は「引き受けた覚えがない人が殆どでしょう?」民主主義だから「国民の合意があった」と言われればそのとおりです。

しかし、現在”原発ってどうよ?”と再度問いかけられているのではないでしょうか?少なくとも「車より安全だから、原発いいじゃん」という程度なら、そういう方にこそ、原発の運転、メンテナンス、廃棄物の処理、等々一切の仕事して欲しいと思います。自分はリスクを引き受けずにリターンだけ手に入れる「ノーリスク・ハイリターン」最も経済合理性のある行動です。

次世代まで含めて、更にはその先まで思考を拡張すれば内田氏の言うように「原発は正解ではない」となるはずです。自分たちさえよければ、今さえよければ、という利己的・短期的なマインドが後世に汚物を残すことになるのでは?

私達は将来の問題が何かが十分に分かっていません。だから、その問題解決方法も曖昧です。今までのパラダイムは通用しないと考えるべきでしょう。原発に限らず、おおよそ世界中で起こっている諸問題は30-50年前の「諸施策」に原因があります。同時に良い部分もたくさんあります。つまり一世代前の時代では「最も支持された行動」だったのだと考えれます。1000年オーダーで思考しましょうとは言わないですが、せめて100年先ぐらいは見据えて「来るべき理想的なビジョン」を策定し、行動したものです。

嗚呼、すっきりした!

一体誰に向けてこの記事を書いているのだろう?不運にもこの記事を読んでいただいた方には感謝します。ありがとうございます。誰かが読んでくれているだろうと思うからこそ、こうして「文句」を公的なスペースで表現できるのですからね。便利な時代になりました。昔なら問答無用で打首獄門だったかも知れない「思想的テトリス、じゃない、思想的テロリスト」になってたかも(小者だけどw)

ではでは

Enjoy your life!!

ps:最近の関連記事は是非読んでください。

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22 Responses to “久々に「冷静に」文句言いたい。原発事故について”

  1. 7k8m より:

    自動車事故はレッカー車で片付けられますが、原発事故は手の付けようがありません。

    今の人類は、放射能の止め方を知らないんですよね。

  2. hirotamaki より:

    放射能の扱いについて、未来の人類への教訓として、今私達が学ぶ時期なのかもしれません。

    原発もレーカー移動できる程度になれば利用価値が高まるのですが、まだ無理っぽいですものね。

  3. Athlon1800plus より:

    潤沢に電気エネルギーを享受しておいて、
    (リスクを)「引き受けた覚えがない人が殆どでしょう?」
    というのは、お目出度すぎませんかね?

  4. hirotamaki より:

    コメントありがとうございます。そうですね、一定の人達には「おめでたい」と表現しても許されるのかも知れません。「リスクを引き受けました」と自覚している方にはAthlon1800plusさんのおっしゃるように「潤沢に電気エネルギーを享受していた」のでしょうから。

    この記事の論点はまさに「その自覚があったのか?」更には、あったとして「反対できたのか」という点と、「選択可能性」がどの程度用意されていたのかという点です。

    40年以上も以前において、「反対するに必要な知識がなかった」あったとしても未成年であり、選挙権すらないガキでした(私は中学生)。という人がかなりいるのではないかと?さらにリスクを引き受けざるを得なかったのであり、享受したわけではなく「甘んじて受け入れた」というのが実際かも知れません。だから「おめでたい」という表現には抵抗があります。

    つまり、リスクを引き受けて「メリット」を享受していたという実感がない上に、選択肢が殆ど無いのです。それをタバコや車と同レベルで論じてる件の記事に対する個人的な文句です。それでも反対するなら「原発のない国に移住する」という選択肢はありますが、かなり厳しい選択肢です。

    上記のようなご理解を頂ければ幸いです。

    いずれにせよ、文中の

    「原発に限らず、おおよそ世界中で起こっている諸問題は30-50年前の「諸施策」に原因があります。同時に良い部分もたくさんあります。つまり一世代前の時代では「最も支持された行動」だったのだと考えれます。」

    だからこそ、再度「大人である私達」が考えましょう!
    過去の大人が下した決断と同じような合意になるかも知れませんし、そうじゃないかも知れません。民衆主義であり、いまや個人のメッセージを広く伝える事ができる時代になったのですから。関連記事もお読みいただくと幸いです。

    長文の返信失礼しました。玉置

  5. Ucon06 より:

    池田氏は可哀相な人です。このままでは彼に未来は訪れません。知識と引き換えに失ってしまった大切なものを、取り戻す旅に今すぐ出掛けられた方が良さそうです。玉置さんの考え方に賛成です。

  6. hirotamaki より:

    Ucon06さん、ありがとうございます。読みながらクスっとしました^^ 
    ただ、世間には「表に出ない知識人?」が大勢いらっしゃいます。
    旅支度する人が「少ないこと」を期待したいですね。

  7. Zebra Collector より:

    「各個人が引き受けられる範囲のリスク」という視点は面白いと言いますか響くものがあります。

    しかし、正直言ってなんかいまひとつまとまってないのが惜しいと言いますか、もう少しねばってまとめられると、かなり世の中に貢献できる意見になりそうな感じもします。期待してます。(私自身が大したこと何も言えずにすみません)

    原発のような「ノーリスク・ハイリターン」の状況は、古典的な「共同責任は無責任(だれかに押しつけ)」的な状況に近く、「各人が自分の引き受けられる範囲のリスクを選択して負う」というのは、個人主義的自由主義的と言いますか、自由な市場の原理に近いのかも知れません。後者の方が人々の納得は得られやすいのはそのためかな。

    なお、ちょっと蛇足気味かも知れませんが、自動車事故の危険に最も曝されているのは運転者ではなくて歩行者でして、中でも高齢者と子供が最大の犠牲者です。彼らには交通事故のリスクを引き受ける引き受けないの選択権は殆ど無く、一方的にリスクばかり負わされているという点で、あなたの指摘する原発のリスクの構造と大いに共通する点があるように私には思えます。

  8. Zebra Collector より:

    「各個人が引き受けられる範囲のリスク」という視点は面白いと言いますか響くものがあります。

    しかし、正直言ってなんかいまひとつまとまってないのが惜しいと言いますか、もう少しねばってまとめられると、かなり世の中に貢献できる意見になりそうな感じもします。期待してます。(私自身が大したこと何も言えずにすみません)

    原発のような「ノーリスク・ハイリターン」の状況は、古典的な「共同責任は無責任(だれかに押しつけ)」的な状況に近く、「各人が自分の引き受けられる範囲のリスクを選択して負う」というのは、個人主義的自由主義的と言いますか、自由な市場の原理に近いのかも知れません。後者の方が人々の納得は得られやすいのはそのためかな。

    なお、ちょっと蛇足気味かも知れませんが、自動車事故の危険に最も曝されているのは運転者ではなくて歩行者でして、中でも高齢者と子供が最大の犠牲者です。彼らには交通事故のリスクを引き受ける引き受けないの選択権は殆ど無く、一方的にリスクばかり負わされているという点で、あなたの指摘する原発のリスクの構造と大いに共通する点があるように私には思えます。

  9. hirotamaki より:

    コメントありがとうございます。ご指摘の通りだと思います。原発と交通事故と共通”感”(構造的に共通するパート) は一言で表現すれば「もらい事故」です。違いは「事故の及ぼす範囲の大きさ」です。だから、この記事を書きました(脊髄反射的な文句ですけど)

    民主主義は荒っぽく言えば「多数決」ですから、今日の現実は「過去の多数決で決められた結果」です、だからこそ「今、将来の結果を決める(といっても予想の範囲)必要があると考えています」

    内田氏のいう
    ”短期的・局所的に考えれば合理的なふるまいが長期的・広域的に考えると不合理であるということはよくあることである。”

    に同意してますが、これは文章として正しいとはいえ、現実には「期間や地域を具体的に設定しなければ意味をなしません」

    1000年先の地球上とするのか、100年先の日本とするのかで、全く違う施策になると思います。 http://wp.me/p1rsrn-HR にも書きましたが、現実的な施策を打ち出す必要があると考えています。

    ただし、国民全員で協議する事は不可能なので、「専門家」に委ねるしかありません。少々話はそれますが、政治家やマスコミに「原発に詳しい方」が少なく(多くは文系の方、他方、研究者や技術者は理系)実際のところは「誰が、あるいはどの機関が評価・判断をし、結論を導くか」になります。かなりバイアスが掛かると思われます。

    コチアの記事 http://wp.me/p1rsrn-IA も一部関連します。お時間があれば御覧ください。

    過去のどの時代よりも「様々な情報」に触れる機会が多くなった今日、個人の価値観を全体の合意に反映させることができそうなのに、(矛盾してますが)以前より困難になってるのかもしれません。多くの人が情報過多のために思考停止の状態に陥ってるとも思います。

    最後に、一人で空想しても限界がありますので、もう少し、ねばってまとめるには「賢い人」とディスカッションが必要です。多面的に仮説設定し、検証することはコンサルタントですから当然ですが、このテーマはボケたおっさんが扱うテーマとしては大きいです(^^ゞ

    貴重なコメントありがとうございました。また覗いてください。

  10. hirotamaki より:

    コメントありがとうございます。ご指摘の通りだと思います。原発と交通事故と共通”感”(構造的に共通するパート) は一言で表現すれば「もらい事故」です。違いは「事故の及ぼす範囲の大きさ」です。だから、この記事を書きました(脊髄反射的な文句ですけど)

    民主主義は荒っぽく言えば「多数決」ですから、今日の現実は「過去の多数決で決められた結果」です、だからこそ「今、将来の結果を決める(といっても予想の範囲)必要があると考えています」

    内田氏のいう
    ”短期的・局所的に考えれば合理的なふるまいが長期的・広域的に考えると不合理であるということはよくあることである。”

    に同意してますが、これは文章として正しいとはいえ、現実には「期間や地域を具体的に設定しなければ意味をなしません」

    1000年先の地球上とするのか、100年先の日本とするのかで、全く違う施策になると思います。 http://wp.me/p1rsrn-HR にも書きましたが、現実的な施策を打ち出す必要があると考えています。

    ただし、国民全員で協議する事は不可能なので、「専門家」に委ねるしかありません。少々話はそれますが、政治家やマスコミに「原発に詳しい方」が少なく(多くは文系の方、他方、研究者や技術者は理系)実際のところは「誰が、あるいはどの機関が評価・判断をし、結論を導くか」になります。かなりバイアスが掛かると思われます。

    コチアの記事 http://wp.me/p1rsrn-IA も一部関連します。お時間があれば御覧ください。

    過去のどの時代よりも「様々な情報」に触れる機会が多くなった今日、個人の価値観を全体の合意に反映させることができそうなのに、(矛盾してますが)以前より困難になってるのかもしれません。多くの人が情報過多のために思考停止の状態に陥ってるとも思います。

    最後に、一人で空想しても限界がありますので、もう少し、ねばってまとめるには「賢い人」とディスカッションが必要です。多面的に仮説設定し、検証することはコンサルタントですから当然ですが、このテーマはボケたおっさんが扱うテーマとしては大きいです(^^ゞ

    貴重なコメントありがとうございました。また覗いてください。

  11. NS より:

    自動車事故で亡くなる方の多くは、
    自動車を運転していない歩行者ではないでしょうか?

    他方、原発に関しては、その恩恵に浴しているわれわれ市民は、
    いざ原発事故が起きた場合にも、
    汚染された地域(今回の場合なら、関東一帯を含む)から
    逃げずに生活する、ということにおいて
    リスクを負っていると言えるのではないでしょうか?

    だから、自動車は自己責任だが原発推進は無責任、
    というご意見は、全く当たっていないと思います。

  12. hirotamaki より:

    コメントありがとうございます。私の文章は稚拙ですが、原発推進は無責任とは書いてないはずです。どちらかと言えば「過去の結果を引き受けていますが、これからは何とかしませんか?」という意見です。他のコメント返信も含め、再度お読みいただくと嬉しいです。宜しくお願いします。

  13. 消極的原発肯定派 より:

    まずは自動車さえ人間がコントロールしきってないことを認めるところから始めたほうがいいと思います。それはただの幻想です。完全なコントロール下で日本だけで毎年5000人を殺している「各個人が引き受けられる範囲のリスク」ってどういう冗談のつもりでしょうか?
    そういった人的被害の面で比べると、被曝による将来的な癌のリスクも原理力の膨大で安定した質のよい電力に支えられた医療技術で緩和されるので、コントロール下に置かれている自家用車よりも問題になる範囲ではないと思われます。福島原発の放射線漏れで死者が出たという記憶は自分にはないです。

    精神的被害についてはそのほとんどが無知によるもので、いままでに必要な「学習コスト」を払わなかった無知自慢をする人たちが、自分で自分の首を締めながら被害を拡大しているのが現状です。電力がいかに重要かという視点についても学習不足な方が多いように見受けられます。大量の電力がないと、ただでさえペイしない自然エネルギーの開発も出来なくなります。また、半減期を気にするのは結構ですが、その期間で人に何が出来るのかという視点が否定派の人には皆無です。

    現行の原発を他の発電方式に置き換えることでさえ、とても長い期間が必要です。あまりにも古い型のものは最新型を建てて安全性を上げるのが現実的だと思われます。原子力はそこまで生活に不可欠になっています。
    目に見えないから怖いだとかではなく、正しい知識をもって適切に付き合っていく学習コストを支払うことが、今最も大切な事だと思います。

    という訳で、記事は近視眼的すぎます。

  14. hirotamaki より:

    コメントありがとうございます。自分のスタンスを明確にした上でのコメントは好感が持てます。

    自動車の件、コントロール下におかれているとは考えてもいませんし、記述もしていません。それどころか「リスク」があるとしています。そして、括弧書きではありますが、”(それでも他人や社会に迷惑はかかるのですけど)”と記載しています。

    この記事の論点はリスクの「引き受け感」です。(私は)車に関しては社会が「合意してリスクを引き受けてるとみなしています(危険だけど合意されている)」、他方、原発は「社会の合意形成が為されぬまま進められきた」とみなしています。死亡者の数の比較をする記事ではなく、「社会の了解事項としてどうなの?」ということです。

    たまたま、脊髄反射的に書いた記事ですから、このご指摘があるのは嬉しいです。近視眼的と言われれても「何が近視眼的過ぎ」なのかよくわかりません。記事中にも1000年先とは言わないまでも100年ぐらい先を考えてはどうでしょうか?としてるぐらいですから。

    また、「半減期」といきなり書かれてるので、なんとも言えませんが、このブログ全体で、たった一回しか使ったことがワードです(こちらの記事 http://wp.me/p1rsrn-IA )。貴兄のコメントが私宛に書かれているとしてですけど、少なくとも私は目に見えないから怖いとか、学習コストを払って無いとは思っていません。バーローの物理化学、ピメンテルの化学結合程度は普通に理解できます。それとて、何十年も研究している方には遠く及ばなない知識でしかないのです。また、否定派の人にも「この期間にどうするのか」とキチンと提言されている方はかなりいらっしゃいますよ。皆無とは少々言い過ぎではないでしょうか?

    他の関連記事や、他のコメントバックもご覧頂くとありがたいです。この辺り、
    http://wp.me/p1rsrn-HR
    http://wp.me/p1rsrn-GY
    ぶっ飛び妄想としては
    http://wp.me/p1rsrn-G0
    等を読んでもらうと近視眼的と言われても「そうですか」としか言えないです。

    まぁ、ココで、ちまちまと消極的原発肯定派の貴兄と、積極的原発反対派の私がやり取りするだけでは(少なくとも私の側の)社会に対する影響力はほとんどありません。原発は反対にせよ、賛成にせよ、「社会が合意できる」結論を持たねばならないでしょう。それが民主主義です。そのためには学習コストもさることながら同時に教育コストも考えければなりません。青臭い表現ですが、「理想的な未来像を社会(国民)が合意してこそ活力が生まれる」と考えています。

    最後に拙記事にコメントを頂いたことに感謝します。ありがとうございました。

  15. hirotamaki より:

    こういう記事は全ての方に読んでもらいたいですね。→そもそも原子力は人間の力が及ばない、本質的に〝制御不能〟なものです。そのことを前提に考えなければならなかった http://bit.ly/gkqhcr

  16. 消極的原発肯定派 より:

    一応他の記事も読んでからコメントしたんですが、まあ、脊髄反射といえば自分のコメントも脊髄反射ですね。

    さておき、一番重要なことは「研究開発には大量の電力と化石燃料が必要」ということです。
    その上で化石燃料を使わずに大量の電力を供給できる手段が原子力しか見込めないのは(少なくとも驚くべき技術革新が起きるまでは)ご承知のとおりだと思います。

    理系を名乗るなら自分たちの環境がどのようなインフラの上に立脚していているかをきちんと見つめる必要があります。このことについて、近視眼的やら学習コストを払っていないと書いているつもりです。日本だけ原発を無くして、どこかに新エネルギーの開発コスト(という名の原発)を押し付けますか?
    100年先を見据えるなら、現状をきちんと踏まえて、そこから出発すべきです。そして現状を踏まえるなら、私たちの生活を維持するには電力と化石燃料が、私たちの生活を発展させるには十分な余剰電力と化石燃料が必要なことは自明の理です。
    今回の騒動で開発コストを無意識に考えないようにしている原発否定派の理系の人たちが見受けられます。
    同じ理系の端くれとしてすごくやるせないです。という訳でこのコメントも鬱憤晴らしです。
    新エネルギーの開発には今すぐにたくさんのエネルギーが必要です。太陽光パネルをひとつ作るにも電力と化石燃料が必要ですし、現状ではエネルギーの収支はマイナスだったと記憶しています。
    目の前しか見えていないから、その目の前のものを支えるためにどれほどの当たり前が必要か見えてないのです。

    近代日本において大量の電力というものは当たり前の存在でした。当たり前のものさえ準備できなくなって初めて、当たり前のものがない状態で如何にして目の前のものを支えるかという視点が必要なのだと思います。それなのに当たり前のものを前提として物事を考えるなんて理論的でも理性的でも有りません。

    つーわけで、本当に現状というものを理解してから考えることを始めたらいいんじゃないですか?せめて、各都道府県ごとの電力における原発依存度とか調べたらどうです?5割いってるところもありますよ。

  17. hirotamaki より:

    再度のコメントありがとうございます。ここで鬱憤を晴らしても・・・って気がしないわけではありませんがw 前半を華麗にスルーしてるところが弱いです。最後の原発依存度は関心があっったので以前から知ってますよ。「知らない」と断定する貴兄の理系センスを疑います。

    それは良いとして、「研究開発には大量の電力と化石燃料が必要」という事は本当ですか?もしそうだとしたら、「貴兄の当たり前と食い違うので」話はかみ合わないでしょう。少なくとも化石燃料を使わない発電方法はあちこちで実用化されています。また、「私たちの生活を発展させるには」という前提を勝手に設定されても曖昧すぎ!極論を言えば「無限にエネルギーが必要」と言えますからね。ご自身の理論を展開するのに必要な前提条件を設定して、(私を)理論的でも理性的でもないと言われても言われても「そうですか」で終了です。

    ※理論的と貴兄が書いてるのでそのまま使いましたが、お互い不確定な事象に対して真偽を考察してるので、多分使い方としては「論理的」が正しいでしょう。

    先の返信にも書きましたが、ここでのやりとりは社会的影響力を考えて無駄です。

    つーわけで(真似)、もうすこし、メジャーな場所(あるいは機関)でご自分の主張を述べられることをお勧めします。当然様々なエビデンスはご用意されていると思いますが、「科学は常に反証可能性を残す」ものであるということを蛇足ながら付け加えておきます。

    また、世界的規模で協議するテーマだと思います。国内だけでゴチャゴチャ考えずにいて欲しいですね。私の様にボケかかったおっさんですら世界のエネルギー事情を何となく眺めて記事を書いているのですから(まぁ、これは仕事柄必要なんですけどね)。

    反原発であろうとなかろうと、素晴らしい未来を設計し、安全で快適な調和のとれた社会になる事を願うなら。。。

    最後に、真面目なコメント感謝します。ありがとうございます。

  18. 消極的原発肯定派 より:

    前半部分に対する回答は、社会の了解事項も何もまずは当たり前は何によって支えられているか学べってスタンスです。

    自分の前提条件は、現在の生活(技術革新の速度も含めてね)を維持するために必要なものは何かです。このことには真摯に向かい合わないといけません。少なくとも現状の技術革新の速度を維持しないと、ウランさえ枯渇してしまいます。

    それと化石燃料(ここでは石油を想定してますけど)ですが、そのものを原料とするあらゆる製品に影響が及びますよ?あなたの着ている服は化繊じゃありませんか?いままでの電力を維持するには、短期的には原子力を除くと火力発電所を
    ぶん回すしかありません。一日20万バレルほど追加で必要だとIAEAが試算しています。いくら日本が裕福な国とはいえ、ガソリンがリッター/タバコな値段になった場合(ま、ちょっと極端ですけど)は波及効果も考えてちょっと想像したくないです。
    燃料不足で物資が運べないってニュースは何度も見聞きしたことでしょう。世界規模で考えて今後も需要が急増するであろう化石燃料を、代替エネルギーがまともに使えるようになるまでのつなぎにするのは非現実的だと思います。藻の栽培でも上手くいくように祈るしかないですね。

    また、化石燃料に頼らない発電方法は結構ですが、そのための資材はどうやって調達してどうやって加工してどうやって製造するんですか?そのためのエネルギーはどうやって確保するんでしょう?その両方を支えるコストはどのくらいが適切でしょう?研究者や開発者の日々の足は自転車?おそらく温度管理が必要であろう研究施設は太陽光で電力をまかなえるんでしょうか?

    原発の賄う3割というのはとても大きな数字です。

    なんにしろ、原発のリスクやコストのほとんどは国民全員、いや世界中がいままで様々な理由で払わなかった学習コストです。ばっかじゃねーのと思います。飲食物に関してはひどいものばかりです。自分たちで自分たちの生活コストを理不尽に釣り上げているだけでしょう。原発がある町は補助金がいっぱいとか、無知を武器にして金をせびってるだけじゃないですか。

    現況の大部分は、放射線やら放射性物質についての正しい知識を市民が理解すれば解決します(社会の了解事項ってやつですよ!)そうしないと復興に向けた物資の調達すらままならないし、脱原発すら目指せません。そもそも当面の間は旧式の炉を廃炉にすることさえ(物資・人材・コスト的に)おぼつかないように思いますけど。

    何かを語るなら、まずは手持ちの武器を確認してからのほうがいいと思いますよ?

  19. hirotamaki より:

    ネット上とは貴兄の言葉遣いには閉口しますが、最後のおつきいをしましょうw

    PS:に書いてるように「推進派」の記事も書けますから、貴兄のコメントは「ハイ、その通り」です。ところで、貴方は世界中のすべての出来事を知ってるわけではないよね?私も同様です。貴方と立場を取るなら、「知ってる範囲で原発を消極的に推進」するでしょう。しかし、私は「知ってる範囲で」可能性を見出しているだけです。だから、先の返信に

    ”「貴兄の当たり前と食い違うので」話はかみ合わないでしょう。”

    とあえて書いてるのです。

    原発の賄うのが3割とか書いてるし、日本だけで考える脳みそしかないの?多分知ってる範囲があなたの方が少ないのですよ。頑張って勉強したほうが良さそうです。お互いに。何度も書きますが、ここでのやりとりは不毛ですからね。コメントありがとうございます。これで最後の返信です。

  20. 消極的原発肯定派 より:

    ああ、ネット上では相手の能力を過大評価しがちですよね。
    読解力とか文章力とか。もちろん持っている情報量だって。
    誤字脱字は空気のように存在するとはいえ、多い人ほど読解力も文章力も低いのが常です。
    世界を語りたがるのは結構ですが、その前に自分の文章を「冷静に」読み返す習慣をつけたほうがよろしいかと思います。ついでにひとつ上の文章をもう一度読めば、せっかく噛み付いている部分ですら的はずれなことが分かるでしょう。日本は燃料を自給自足しているわけではありませんからね。

    たぶん、普段のあなたはもっと冷静なんでしょうけれど、誰しもが震災のストレスを抱えています。原子力という言葉にアレルギー反応的に対処するのではなく、より一層理解を深めるのが肝要です。これからも頑張ってください。

  21. とんこつ より:

    池田氏の発言は中島氏の「私たちは自動車や飛行機を放棄しません。それは、リスクの存在を前提として、そのリスクよりも利便性のほうが上回るという認識を共有しているからです。」という主張に対する反論のひとつとして具体的な数字が挙がっている 5,000人という死亡者について触れているわけですよね?元の発言が飛行機事故を例に挙げたようにリスクと利便性の兼ね合いについて「自分がリスクを引き受けられる範囲の行動」かどうかの観点について言及していない以上池田氏は中島氏がこのことについてどのように考えているかを知ることはできないわけで、「自分がリスクを受け入れられる範囲の行動」について何もコメントしなくても当然と言えるでしょう。
    池田氏は「自動車や飛行機を放棄していません。」の飛行機のほうについて反論していればよかったのでしょうか?

  22. hirotamaki より:

    コメントありがとうございます。
    どの様に反論していれば良かったのか、ココで書いても無意味でしょう。中島氏は原発反対派で原発は危険、池田氏は推進派で原発は安全、中島氏が将来のリスクを考慮しながらも自動車等と比べるから、池田氏に突っ込まれる訳です。過去の統計によれば数字的には安全と結論できます。>池田氏は事故の発生と死者の数を比較して「自動車より原発が安全」という結論を導いています。この幼稚なロジックだけに影響されて「原発推進」に傾く人がいるとすれば残念ですが、どうもコメントなどを読んでみると結構いそうです。<と本文に書いたように、まず双方のスタンスの違い、中島氏は反対派、池田氏は原発推進派の発言が多く(現在は一生懸命ニュートラルのポジションに身を置きたがっているように見受けますがw)また、経済合理性に関して正しいと思われます。これとて、どこかで原発の大事故が起きれば、安全の「根拠にしていた数字」が変わるので、何とも言えませんが。。。だから、池田氏の当該記事に付いては同意します。しかし、(私は)彼の発言は推進派のポジションからの発言と捉えているのでこの記事「久々に文句」を書いた次第です。私が、この記事で伝えたい内容は、私達は「安全」だけを求めているのではなく、「安心」を求めているのではないでしょうか?という問いかけです。安心とは個々人が、自分でコントロールできると思う「感覚」でしかありません。だからタバコや自動車と原発を同じ土俵で比較するのはどうかなぁ・・と思います。いずれにせよ、地震国日本に原発を設置するのは危険だと判断しても良いのでは?理由は自分では制御できないから、リスクを引き受けられないということです。本文の>私達は将来の問題が何かが十分に分かっていません。だから、その問題解決方法も曖昧です。今までのパラダイムは通用しないと考えるべきでしょう。原発に限らず、おおよそ世界中で起こっている諸問題は30-50年前の「諸施策」に原因があります。同時に良い部分もたくさんあります。つまり一世代前の時代では「最も支持された行動」だったのだと考えれます。<これが結論です。ではでは、また覗いてください。もう原発のことはあまり書くつもりはありませんが。

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