internationalize は他動詞だ!!

最近米国人と会話をしていて、少々違和感があったので、参考までに書いておく。「internationalize」という単語、日本語では国際化と訳される。internationalizeは他動詞だから、英語圏の人達の「○○を国際化する」とは、おそらく「自国(自分)が基準であり、相手を自国(自分)の基準に合わせる様に働きかけてくる」のが普通だろう。他国を自国にあわせ、統治する「支配的な感じ」があると思われる。

他方、日本語の「国際化」は受動的な感覚が強い、だから「日本(日本人)が、相手の基準に合わせる」ような感じになる。どちらが良いか悪いかではなく、一言で表現すれば「文化」の違いと言えないくもない。

この仮説が正しいとすれば

我々日本人は常に受身的な立場に身をおくことになる。この意味するところは、米国・西欧の基準には出来る限り「合わせよう」と努める姿勢に現れる。結果的にはモノマネっぽくなり、後追いの国になる。

翻って、アジア圏においてはどうだろうか?今や、英語は世界共通言語となりつつあり、アジア圏でもビジネスマンは英語で会話する、internationalizeという単語が本来の他動詞として使われているなら、アジア圏を受け入れるのは日本側となる。

産業の発展だけに限って言えば日本が先行しているので、日本の基準を押し付ける事は可能だろう、しかし本当に「日本の基準を通用させる」事ができるのだろうか?そもそも「本来の」日本の基準はどこにあるのだろう?もしかしたら「無い」事がそのものが基準ではなかろうか?

実際、私は他国において、仕事に限らず、「相手の様式に合わせようと努める」、その方が「(個人として)体験の幅が拡がる気がする」からだ、しかし此処には「努める」と書いたが、「知らずうちに、そうしてしまう」のである(笑)。これは決して「媚諂うことではない」、更に言えば「私は相手が誰であろうと媚びた経験がない」(ただ、自分が通用しなことは日常茶飯事である。汗)

自国の基準を持たないという「日本基準」は「国際人」には好都合?

何処の国でも通用する人が「国際人」とするなら日本人が最適な民族だろう、ご当地の文化や基準を受け入れつつ、発展させる「技術」は多くの日本人にとってそれほど難しいとは言えない、これは、冒頭の受動的な内面(精神面)において「相手を受け入れる準備」がデフォルトだからだ。

宗教的には多種多様な「神様」でも認めるし、政治的にも、ほぼ単一民族で、歴史が長い国であるため「日本人全体として色々経験済み」である。このことは「相手を理解するのに好都合であり、強み」である。更には好戦的な民族ではなく、どちらかといえば、穏やかな民族であるため「馴染みやさ」が備わってるのではないだろうか?

相手からはわかりにくい

明確な基準を持たないということは「相手からはわかりにくい」といえる。だからこそ「日本人らしさ」を何かで打ち出しておく方が良いだろう。この分野を書くと長くなりそうなので今回はこのあたりで終わりにするが、キーワードは「ワビ・サビ」あたりか?いずれにせよ我々は、「独自性」を日本人全体として持っている部分と「個人として打ち出せる何か」を表現する方が国際化という観点からは重要となるだろう。

冒頭の仮説が違っていたら全く無意味な考察(爆)

ではでは、

Enjoy your life!!

この記事は関連するかも?

{lang: 'ja'}
 

コメントをどうぞ