仕事?それとも志事?

読んで字のごとくそのまま理解できそうですね。記事にするほどのこともないテーマですが蛇足的に(笑)

仕事

通常はこちらをつかます。「つかえる」です。何処かにあるいは誰かに仕える事が仕事になるのですね。ある程度はっきりとした金銭的報酬がわかります(労働?)。 もし、仕事でストレスが溜まる方はそろそろ「志事」にシフトする時期かもしれませんね?

志事

こちらは、「こころざし」に基づいて事を為す。志は一人ひとりの自覚ですから、必ずしも金銭的報酬が用意されているとは限りませんね。ただし、精神的には満足することでしょう。何しろ己の志が原動力ですから。年中無休(年中夢求?)で活動しててもストレスはないです。ただし、お金もないかも(笑)

私事

「ワタクシゴト」です。まぁ、ココでは言葉遊びとして「シゴト」としてください。あんな事や、そんな事です。経済的な活動でもなく、志に基づいてるわけでも無い、しかしとても大切で自分にとっても価値ある活動と言えます。

仕事=志事=私事

上記のように全ての「シゴト」が一致していたらとても充実した人生です(多分)

ところで、仕事という概念はいつ頃できたのでしょうか?そもそも仕事という言葉は比較的新しい言葉だと感じます(興味が有る方は調べて教えてください)。現在のような社会環境ではなく、情報の流通どころか、物流さえもあまり起きていない時代には、もっと自然環境に依存して生活していたと想像できます。このような環境下では、(選択肢がないので)「自動的」に、仕事=志事=私事になっていたと考えられます。

もし、この考えが正しければ、過去の「仕事」における「つかえる」対象は何だったのでしょう?会社なんてない時代です。おそらく「自分では理解し得ない大いなる存在」をその対象として設定しなければならなかったのではないでしょうか?畏怖の念すら抱きながら「仕える事」この行為こそが仕事だとすれば、それはもうとてつもなく素晴らしい事だったでしょう?(この時代に「私」という近代的な自己は無いのですけど)、同時に「こころざし」もちっぽけな自己から発生するのではなく、「大いなる意思の現れ」と受け止めて居たのかも知れません。結果として、食べ物などを手に入れ、生きていた人達がいたと思います。まさに「恵み」としての報酬でしょう?「生かされている」とハッキリした自覚を誰もが手にしていたのかも?

翻って、現在は選択肢がありすぎて、「シゴトの一致が困難」になっているとも考えられます。だからこそ、注意深く「己の志を見極め、動機を善にし、私心なき活動」をしたいものです。科学技術がのお陰で、産業が発展し、生活環境がいかに便利になったとしても「人間」として生きる原点はそれ程変化していないでしょう?

本当に、心のそこから「生かされてるなぁ・・」と強く実感できる毎日を過ごしたいものです。感謝!!

ではでは、

明日は、勤労感謝の日ですね。

Enjoy your life!!

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