「いいね!」って流行ってる? Facebookの「いいね」は「見たよ」程度に考えれば軽くボタンが押せますけど(笑)

斬新な切り口、新しいアイディア、新しい生き方は、「同意・共感・承認」 の場では生まれません。ドキッとするような「痛い刺激」が伴うのではないでしょうか?

楽しい相手と、気付きを得る相手は違う

会話が弾むのは話が合う人で多分楽しく時間が過ごせます。ここには「聞き上手な人」がいて、自分ばかりしゃべっていても気持ちいいものです。同意・共感・承認が細かいレベルで頻繁に起きている事が予想されます。聴く技術が上手い人とは(大方)コレが上手いのです。そして、気持ち良く話している「あなた自身」はなにも成長しないでしょう(多分)

気付きを与えてくれる人は「あなたが立ち止まる(直面)する」質問等があります。これは必ずしも「同意・共感・承認」を求めているのではなく、「可能性の示唆」を表現しています。多くの人はここで、すこし「居心地の悪さ」を感じます。

たとえば

あなたが、愚痴や不満を友人に話しているとしましょう。その友人は「そうだよね…」「わかるよ…」とただ聴いています。これだけで、あなたはストレス発散が出来ます。しかし、何も「現実は変わらない」はずです。もし、その友人があなたの話を聴き終わった後、「で、これからどうするの?」と軽い問いをしたその瞬間、あなたは「気づきのスイッチ」に触れざるを得ないはずです。なぜなら、この問いは「いまから、ここからスタートさせる問い」だからです。この後の対応はあなた次第になります。「でもさぁ、仕方ないよね」とか言ってると「そのまま」でおしまいです。

こんな場面はよくあります。悪い事ではありませんが、繰り返しの中で生きてると思いませんか?少なくとも私は好きではありません。毎度同じ話をするほど暇ではないし、成長しない人は知り合いではあっても友達ではないです。友達は「ともに達成する人」であってほしいと願います。

受け入れがたい提案にこそ「新しさ」がある

可能性は「非合理」です(非合理を生きる)。あなたの繰り返しの中には「いままでの合理に基づいた現実がそのまま」あります。だから、新しさはあなたの枠を超えたところ、あなたの理解を超えた領域にしかありえません。即ちあなたには「非合理」であり、想像することもできない「未知の領域」であることを認めてしまうことです。そこにはどんな理屈をつけても無意味です。「理屈そのものが合理から生まれてる」のですから(合理=理屈というトートロジーになっていますw)

未知の領域には無防備に飛び込むだけ

理屈が通用しない以上、飛び込むか、立ち尽くすしかの二択です。受け入れるか否かです。否定すれば「いままでと同じ現実」です。受け入れれば「新しい現実」になります。心には不安や恐怖という見えない壁が出来上がります。様々な障害があると予想するからです。そして、その予想こそが、「いままでのあなたの合理であり、幻の産物であること」を知っておく必要があります。そんな予想が通用しない領域、そこが「非合理」であり、可能の領域なのです。

少々回りくどいエントリーになりました。

お伝えしたい事は、いつものように「チャレンジしましょ!」って事だけです。

ではでは、

Enjoy your life !!

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