Blog を読むのは人それぞれの理由があるでしょう。
しかし、一体誰が読んでいるのか?自分に決まってますね。
記事の書き手と面識があれば、その人をイメージしながら読んでいると思われます。更に、親しい人が書いてるなら、純粋にテキストだけを追いかけているいるわけではなく、「声の調子」、「表情」なども浮かんでいることでしょう?
ところが、知らない人が書いてる記事を読んでいる時はどうでしょう?(もちろん、これはblogに限ったことではなく、本などに代表される「書かれているもの 全て」に言えることです)
自分の頭の中に「架空の人物」を想起し、その人が語る内容を聞いている感じでしょうか?
ここで「記事」が自分にとって「心地よければ」(役に立つとか、共感できるとか・・・)の場合、想起された「人物」に好感を持つのかも知れません。
他方、自分にとって「心地よくなければ」(くだらないとか、反感を覚えるとか・・・)の場合、想起された「人物」に対して否定的な感情を持つのかも知れません。
ところで、「想起された人物」とは?・・・もちろん自分で作り上げてるので、「自分の中にいる、もう1人の自分」となります。(少々ロジックに粗さがあることは承知しています・・・笑)
ん?つまり、結局「自己評価」してるということになるのではないでしょうか?
とすれば、「否定的感情」、「異論」を持つ記事にこそ、自己の成長可能性が潜んでいるのかもしれません。
この人は「何故、こんな風に書いてるのか?」 「自分にない価値観はどの部分だ?」 「何故、共感できないのか? 」・・・といった考察をすると違った発見があるかもしれません。
Blogを読むことは、単に「知識」が増えるという良さはもちろんのこと、「自己発見」や「自己成長」のきっかけになる「偶察性」を秘めている事がとても重要な要素なのかもしれませんね・・・
ちなみに、Blogを書く理由は以前書いてるのでまぁなんとなく。。。
http://blog-de-katari.seesaa.net/article/57645411.html
[…] もしかしたらコチラの記事も少し参考になるかもしれません。 […]