インターネットのおかげで多くの人が情報の発信をすることが可能になった。Blogはもとより、もっとお気軽に?twitterなどでも発信できる。内容は実に様々だが、情報の入手は「自分の好み」で選別しているので「意見や見解」が近いものがどうしても多くなりがちだ。

あえて言えば「自分以外の誰かも同じような事を考え、表現している」という情報を手にすることで「安心感」を得ているのかも知れない。最近のツイッター発言だけを眺めてみてもこんな感じhttp://twilog.org/hirotamaki。自分でもhttp://twitter.com/hirotamaki/status/7664455661なこと呟いているにもかかわらずである。自戒の念を込めて発言している内容なのに気がつくと、自分好みの記事かを拾い読みをしたり、考察の中心に据えてしまっている。特にツイッターでフォローするのは「自分好み」になってしまう(w)

Readerで読み込んでいる記事やニュースは膨大になり、すべてを読み込むことはできないにしても、できるだけ偏りの無いように”自分なり”に配慮しているので自分好みにはなっていないはず(w)。

コンサルタントとして仕事をしているので、話題の豊富さ、事例の研究は必須ではある。各種の指標やデータは有効だし、なくてはならない。

しかし、思想的内容や主義主張に関する内容は常ニュートラルなポジションを保ち続けたい。

事実はひとつでも解釈は人それぞれになるのは当然である。更に、想定される事実そのものが、「自分が見聞きできる範囲でしかない!!」世界中のあらゆる事象をリアルタイムで同時に把握することができない以上、どこかに「自分なりの都合」で入りこんでくる要素があるはずだ。このことを決して忘れてはならない。

自分の見聞きできる範囲を「事実」と表現し、「その事実」を「現実」と言い換え、「自分なりに解釈・考察」をして行動を起こす。

これが正義だ!これが正しい!これしかない!これが最高だ!これが最適だ!といったところですべては「個人的」にという前提がある。誰かを否定することなく、謙虚に自分なりの意見を記事にしていけるように気をつけよう・・・

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。

意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。

どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。(夏目漱石:草枕)

漱石の美しい一節が浮かんでくるのはやっと受け入れられる経験を積んできたのかもしれないなぁ・・・

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