このエントリーは前回のエントリーの続きです。友人から、「で、一体どうするの?」って言われたので、もう少し具体的に妄想しておくことにします。本来的には資本主義経済社会そのものを見直す必要があるかも知れませんが、流石にそんなこと考えてもこの馬鹿頭では無理がありますので、多くの国が向かっていくであろうと思われる「主義」をそのまま踏襲しておきます。

しかしながら、モノの移動や加工、販売だけではないので、まだ「優しい国」として存在出来る可能性があるでしょう。そのためには、とても面倒なことに「国」という概念を少々見直す必要があります。大方、国とは「国境で閉じられているエリア」がイメージとしてありますが、これが、実は利権や価値を持っている事が面倒を引き起こしているのではないかと・・・つまり資源であるとか、気候的な理由によって「恵まれている」エリアとそうでないエリアがあるのです。それゆえに「恵まれているエリアを手に入れたいと」どの国も思っているのかも知れません。侵略戦争等は典型です。戦争は方法として認められる事はありえないので、「経済的関係性によって国が結びつく」ことになります。もちろん軍事力もその背景には存在し、影響を与えていることでしょう。で、バランスをとって仲良くしたり、ちょっと距離をおいたりする。(「人間関係」とあまり変わらないかも?)単純にかつ大胆にまとめてしまえば「損得」でつながる取引です。

で、この「損得」を「尊徳」に置き換えて(言葉遊びですが:笑)「日本国」が範を示すというアイディアです。ここで極めて重要なポイントは「尊徳」は押し付けるものではなく、「相手が受け取ってくれる」のを待つしかありません。だからこそ「優しい国」になるのですけど・・・

前提は前回のエントリーにある人口ピラミッドですから、近い将来、高齢国家として存在しなければならない宿命だとすれば、「若い国」に道を譲る(リーダーシップを発揮してもらう)のが良いかと思います。

で、何をするかといえば「教育」です。我が国には比較的長い歴史もあり、島国であったが故に「他国からの文化を取り入れ、融合させるスキルが高い?国民性」が保たれています。また、WW2で原爆を2つも貰っていながら、当時敵国であったアメリカとも仲良くできる「寛容」な精神すら持ち得ているのかも知れません(実際は諦めたのか、悟ったのか?)。更には鎖国していたので、急激な近代化を経験しています。そして経済大国になっているわけです。ほんの30年ほど前には「エコノミックアニマル」とまで言われたのを記憶しています。良し悪しや正義や主義主張を考察するつもりはありませんので、ここではこれぐらいにしておいて、優しい国として、「教育」による「貢献」を行うことは可能だろうと考えています。

もう一度、妄想のあらすじをまとめておくと、まずは日本は「高齢国家」になるので「優先席」を用意してくれと世界に訴えるのです。その代わり我々はもう争うこと(取引)はしません、しかし「教育は貢献としてお手伝いさせていただきましょう」って感じでしょうか?

で、何を教育をするかですが、「日本語」を教えるのです。もちろん「日本語で経済社会の発展に寄与する内容を」です。これが受け入れるかどうかは甚だ疑問ですし、とても困難かも知れません。当然いくつかのオプションを用意しておく必要があるでしょう。この辺は更に「具体的妄想」を必要とするところです(w)。おまけに「尊徳」ですから我慢強く待つ必要があるでしょう。更には使い捨てになる可能性すらあります。だからこそ取引の「損得」ではないのです。

親が子供を教育する感覚に近いかもしれません、私たちは子どもに教育するとき「損得」ではないはずですね、受け入れてくれるかどうかは別にして「出来る限りのこと」をしているのではないでしょうか?もしかしたら年寄りの生きてきた中に「生きてきたことそのもの」が役に立つことがあります。もちろん、スキルとか昔はこうだったとかはどうでも良くて(というより最先端を若者が選びとれば良いのであって)、歳を重ねなければワカラナイ体験があります「死に立ち会う」とか「身体が老いてくる」とか・・・「国としても同じ様に考察しても良いのかも知れません」例えが違いすぎるかも知れませんが、イメージとして捉えられるかと思います。

で、この記事の最初にあるの「国」の概念を少々見直す必要があるのです。国境に括られたエリアではなく、「日本人的価値共有」として国を捉える感覚でしょうか?もちろん諸々の便利性がありますので現在の国境や一般的な「国」の定義は残しておいてもあまり不都合はないでしょう。国を作りたかったと言われているユダヤ人達と逆で、「国」を曖昧にして「国的」な共感、あるいは共有価値を形成しておきましょうという「妄想」です。現在は英語圏の支配が強ういのかも知れませし、既にこのモデルで世界のバランスがかろうじて維持されているように見受けられますが、近い将来日本は「年寄りの国」になるのであれば、あまり仲良くしてもらえないかも知れません。単純なことですが「若い人が少ない」のは取引条件(市場)としては優位に働かない気がします。だからこそ「宣言」しておくのです。「新しいモデルとして世界に宣言」しておくことが「国」を維持するために重要です。宣言するのがとても下手なのが日本(人)だと思います。が国際基準?にしたがった方がわかりやすいので「先ず宣言」それでいて見返りを期待しない「教育」をさせていただくので「そこんとこ宜しく」と日本人的に振舞うのがスタートでしょうか?

妄想する馬鹿頭が疲れてきたのでこの記事はここまでで・・・お付き合いありがとうございました。

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