foursquare

gowalla

個人的には充分にわかっていないサービスではあるが、twitterとの親和性もとても良いので一応着目しておくことに・・・

foursquare,gowalla は 携帯できるデバイスのGPS機能を使って、つまり「位置情報」を利用して「なんとなく遊べる」サービスと言っておくことにします。細かい楽しみ方は脇に置いといて(というより表層的な気がするので)、本質的価値は「今、ここ」で「私○○してる」って感じでしょうか?なんとなく時間・空間を共有することで利用者達はリアルで軽くつながる雰囲気を味わうのかな?ユーザーが増えればとても刺激的なサービスになるでしょう。SNSなどのonlineでのつながりではなく、リアルに「いま、ここ」に居る人が同じサービスを使って遊んでいるのだから凄いでしょう?何がすごいかって「出会う」のです。これって応用範囲?その後の展開?色々考えられると思いますよ。

例えば・・・・・

「私今、銀座の○○Bar・・」と「オレも銀座の○○Barカウンターの左端で・・・」

ドラマみたいですか?こんなことは妄想ですかね?(w)

この会話が見知らぬ人達です。ちなみに最初のつぶやきも男です(爆)


で、経営コンサルタントしての考察をするなら、個人で利用するのではなく「B toC」ならばということですが、「街の呼び込み」とか「ビラ配り」といった極めてアナログ的な仕事を「デジタル化」出来るのではないかと・・・いくつかの条件はあるとしても(GPS機能をonにしてあるとか?) 店舗や企業が「目の前にいる見込み客にプロモーションできる」、あるいは「ごく近くにいる可能性のある人にプロモーションできる」等が考えられそうです。

どこかの誰かが「六本木の交差点にて腹減った・・・何食べようか?」とか呟くと、すかさず「交差点脇の○○では只今xxサービス中」等のお得情報が来ちゃうわけです。他にも「妄想企画」はいくらでもできますが、自分も良くわかっていないサービスなのでこれくらいにしておきます。

twitterでさえ「経営に有効活用」してる事例が少ないですが、あと数年したら様変わりするでしょうね・・・iPadもでたことだし・・

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経営コンサルタントという仕事柄 「仕組みを作る」、「制度・ルールを作る」のは当たり前に日々業務として実行している。仕組みや制度、ルールについてはあちこちに書いているが、新しめではこちらの記事の後半に書いてあるように「その時々の都合によって作られている」、もちろん一定期間は効果的に運用され狙い通りの成果を作り上げるであろう。しかし、いつまでも通用出来るとは限らない。だからこそ、「常に刷新、変化しなければならない」その意味では「変化させる仕組み」を作っておかなければいずれ老朽化し、使い物にならない時がくる。(基本的には変化とかリーダーシップがこのブログの底流に流しているので似た様な記事が多いが・・・)

日本の官僚システムは非常に緻密に組み上げられた仕組みであり、かなり強固なシステムになっていると思われる。大雑把に言えば、その基礎は「徳川時代」にはじまり、多くの人達によって細目まで緻密に、膨大な時間をかけて作られている。おまけにWW2 でもその骨格は残されている。日本のお家芸?オタク文化の集大成といっても良いかも知れない。だから、ある意味安定感があり、「誰が実務遂行してもあまり成果が変わらない」見事である。

「国の運営」という見方をすると当然ながら「巨大な仕組みが機能している」官僚システムもその一部、その他我々の日常の隅々まで「制度やルール」が浸透している。法治国家であるからこそ、またそれを遵守する事を担保されているからこそ「安定した生活」を手に入れているのである。ありがたい事である。

しかし、「仕組みやシステム」と違い、「人間は変化する」、一瞬で人が変化することもある、「男子三日会わずば刮目してみよ」とまでは言わないまでも、3年もすれば誰でも変化する。これは心身両面において間違いない。良し悪しは別にして、変化してしまう「自己」を誰しも実感として持っているはずだ。

「変化する人の集合体」が人間社会とか世間とか言われるなら「古いシステム」を使うのは無理がある。過去のどの時代よりも「変化のスピードが早い」(これは将来も言えることではあると思う)とすれば手順や手続きも「現在に適合するよう」変化させなければ「人の集合体としての意が直ちに反映しない」

「国」をテーマにすると話が大きすぎて分かりにくいかも知れないが、「家庭」の中にも(明示されているか否かはとにかく)「ルール」が存在する。昔ながらのルールを引きずって?父権的な家族も悪くはない、しかし新しい世代の「普通」をルールにした方が若い人(子ども達)には都合が良いはずだ。国でも会社でも家庭でも同じことである。

自民党内で公認の奪い合いに若手と古老が争っている、滑稽だ!

民主党内でも小沢さんの問題でふらつく議員がいるようだ、情けない!

2大政党による政党政治が効果的な時代もあったのだろう・・・しかし、今はどうなのか?

過去は権力のある機関や者が「金や情報」を握っていたかも知れないが、あるいは「金や情報」を持つことが「権力」だったのかも知れないが、今の時代は「権力機関/者」はいない(あるいは必要ではない)、せいぜいが「集合体を代表する公人/公的機関」であれば良い。

そのために最も重要なことは「普通の人」が「主体的」に「変化」に「関わる」ことだろう。今や情報が(玉石混交であるにしても)これほどまでに手軽に手に入るし、発信も出来るインフラが整備されている社会なのだから・・・誰かが何とかしてくれるではなく「自分がなんとかしよう」と行動を起こすことだ。

あなたが「何をしたいのか」を考え、その実現にふさわしい「誰か」が見つかればラッキーである、あなた自身よりも効果的だと思うなら協力すればOKだろう。もし見つからないなら「あなた自身」が行動を起せば良い。

間違っても「あなたが何を手に入れたいのか」ではない「あなたが社会に何を提供したいのか」である。

今日はこのへんで・・・

なんだか説教臭い記事になってしまった(笑)自分自身に言い聞かせてる事だから良しとしよう。

「である調」と「ですます調」の記事があるのはその時の気分を反映していると思われる。今回は「自分に」少し憤りを感じているのかも?最近余裕ないからなぁ~(爆)

ではでは・・

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このブログではあまり政治のことは書かないし、ジャーナリストではないので特に書けるわけでもない。しかし、無関心で居るほどでもない、これは、「野次馬的」ポジションに身をおくのではなく、経営コンサルタントとして「直接仕事に関係する」と考えているからである。(ちなみに最近のtweetは少々偏りあるつぶやき:笑)当然なことではあるが、企業経営は「外的環境に適合していなければ存在できない」。今日の外的環境は旧来の範囲よりも一気に拡大して、地球の裏側で起きていることすら、「自社にどう影響するか」を考察しておく必要があるだろう。

JALが会社更生法の適用申請、大型倒産である。長年、一体誰が経営していたのかと問われても困るのではないか?あまり利用価値が見いだせない地域に空港があるのも事実だし、関連する事業もたくさんある事だろう・・・純粋な取引先も膨大であるが故に影響がある。これらはもしかしたら、国策としていろんな意味において「装置」でしかなかったかも知れない、とすれば国際競争の中において「存在出来るはずがない」これから、仮に再生されたとしても競争に勝ち残れるのだろうか?ANAも存在するし・・・アジアエリアの今後の成長性を期待し、「気持ちは分かるが勝ち残れるのか?」と問いかける必要があるだろう・・・戦艦大和のような事にならないよう経営の舵取りを行わなければならないだろう。

Pictures of the Decade左の写真は年末などによくある「振り返りの写真」過去10年。世界中の大手報道機関は必ずといってほどこの手の写真をネット上にアップしているので目新しさはない。「戦いの歴史」として受け取れる内容が多い。(この写真はロイター、クリックすると他のも見れます)幸いにして日本は戦地になっていない。物理的な被害がないのである種の安心感がある。しかし、経済的な側面では「不安感」が大勢を占めている気がする。実際お付き合いのある経営者達は「不景気すぎて話にならん!!」といったコメントが多い。企業間の競争は戦争とは違い、「負けている実感」が乏しい。

マクドナルドが一日で28億円という過去最高の売上を1月17日に達成している。レイ・A・クロックが創業したこの企業が「飲食業界」に与える影響とてつもなく大きい。ランチにそばを食べずにテキサスバーガーを食べているのである。競合他社(店)に少しお客さんが移るだけですぐには気がつかない。コンビニは今や弁当屋といっても過言ではない。企業は環境適応しなければ勝ち残れない。競合は同業種、同業態だけではない、弁当屋さんがスーパーの売上を奪うのである。物販をしているならECは脅威であろう。近所の人が「当店」で買い物するのではなく、アメリアの会社のネットショップで買い物出来るのだから・・・・世界最大の書店は言わずと知れたamazonだし、書店に関連する出版社は「kindle」を無視できない。その前に老舗(旧態然とした経営?)が倒産しているが・・・

違うビジネスモデルが「自社の優位性」を無価値化し、「異質の競争」を強いるのである。携帯でコミックが読まれて急成長している。気がつかないうちに漫画の読み方も変化するだろう。気がつかない程度の「少し」が気づいた時には「大きい」変化となって自社の存在価値をなくしてしまうのである。

経営コンサルタントとして経営者には、あるいはリーダーとして活動される方には目先にある課題解決のみならず、出来る限り「客観的な事実を素材にして大所高所から戦略的考察をし、変化を起こす事」をお薦めする。もちろん「さらなる発展を期待する」ならではあるが・・・

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このエントリーは前回のエントリーの続きです。友人から、「で、一体どうするの?」って言われたので、もう少し具体的に妄想しておくことにします。本来的には資本主義経済社会そのものを見直す必要があるかも知れませんが、流石にそんなこと考えてもこの馬鹿頭では無理がありますので、多くの国が向かっていくであろうと思われる「主義」をそのまま踏襲しておきます。

しかしながら、モノの移動や加工、販売だけではないので、まだ「優しい国」として存在出来る可能性があるでしょう。そのためには、とても面倒なことに「国」という概念を少々見直す必要があります。大方、国とは「国境で閉じられているエリア」がイメージとしてありますが、これが、実は利権や価値を持っている事が面倒を引き起こしているのではないかと・・・つまり資源であるとか、気候的な理由によって「恵まれている」エリアとそうでないエリアがあるのです。それゆえに「恵まれているエリアを手に入れたいと」どの国も思っているのかも知れません。侵略戦争等は典型です。戦争は方法として認められる事はありえないので、「経済的関係性によって国が結びつく」ことになります。もちろん軍事力もその背景には存在し、影響を与えていることでしょう。で、バランスをとって仲良くしたり、ちょっと距離をおいたりする。(「人間関係」とあまり変わらないかも?)単純にかつ大胆にまとめてしまえば「損得」でつながる取引です。

で、この「損得」を「尊徳」に置き換えて(言葉遊びですが:笑)「日本国」が範を示すというアイディアです。ここで極めて重要なポイントは「尊徳」は押し付けるものではなく、「相手が受け取ってくれる」のを待つしかありません。だからこそ「優しい国」になるのですけど・・・

前提は前回のエントリーにある人口ピラミッドですから、近い将来、高齢国家として存在しなければならない宿命だとすれば、「若い国」に道を譲る(リーダーシップを発揮してもらう)のが良いかと思います。

で、何をするかといえば「教育」です。我が国には比較的長い歴史もあり、島国であったが故に「他国からの文化を取り入れ、融合させるスキルが高い?国民性」が保たれています。また、WW2で原爆を2つも貰っていながら、当時敵国であったアメリカとも仲良くできる「寛容」な精神すら持ち得ているのかも知れません(実際は諦めたのか、悟ったのか?)。更には鎖国していたので、急激な近代化を経験しています。そして経済大国になっているわけです。ほんの30年ほど前には「エコノミックアニマル」とまで言われたのを記憶しています。良し悪しや正義や主義主張を考察するつもりはありませんので、ここではこれぐらいにしておいて、優しい国として、「教育」による「貢献」を行うことは可能だろうと考えています。

もう一度、妄想のあらすじをまとめておくと、まずは日本は「高齢国家」になるので「優先席」を用意してくれと世界に訴えるのです。その代わり我々はもう争うこと(取引)はしません、しかし「教育は貢献としてお手伝いさせていただきましょう」って感じでしょうか?

で、何を教育をするかですが、「日本語」を教えるのです。もちろん「日本語で経済社会の発展に寄与する内容を」です。これが受け入れるかどうかは甚だ疑問ですし、とても困難かも知れません。当然いくつかのオプションを用意しておく必要があるでしょう。この辺は更に「具体的妄想」を必要とするところです(w)。おまけに「尊徳」ですから我慢強く待つ必要があるでしょう。更には使い捨てになる可能性すらあります。だからこそ取引の「損得」ではないのです。

親が子供を教育する感覚に近いかもしれません、私たちは子どもに教育するとき「損得」ではないはずですね、受け入れてくれるかどうかは別にして「出来る限りのこと」をしているのではないでしょうか?もしかしたら年寄りの生きてきた中に「生きてきたことそのもの」が役に立つことがあります。もちろん、スキルとか昔はこうだったとかはどうでも良くて(というより最先端を若者が選びとれば良いのであって)、歳を重ねなければワカラナイ体験があります「死に立ち会う」とか「身体が老いてくる」とか・・・「国としても同じ様に考察しても良いのかも知れません」例えが違いすぎるかも知れませんが、イメージとして捉えられるかと思います。

で、この記事の最初にあるの「国」の概念を少々見直す必要があるのです。国境に括られたエリアではなく、「日本人的価値共有」として国を捉える感覚でしょうか?もちろん諸々の便利性がありますので現在の国境や一般的な「国」の定義は残しておいてもあまり不都合はないでしょう。国を作りたかったと言われているユダヤ人達と逆で、「国」を曖昧にして「国的」な共感、あるいは共有価値を形成しておきましょうという「妄想」です。現在は英語圏の支配が強ういのかも知れませし、既にこのモデルで世界のバランスがかろうじて維持されているように見受けられますが、近い将来日本は「年寄りの国」になるのであれば、あまり仲良くしてもらえないかも知れません。単純なことですが「若い人が少ない」のは取引条件(市場)としては優位に働かない気がします。だからこそ「宣言」しておくのです。「新しいモデルとして世界に宣言」しておくことが「国」を維持するために重要です。宣言するのがとても下手なのが日本(人)だと思います。が国際基準?にしたがった方がわかりやすいので「先ず宣言」それでいて見返りを期待しない「教育」をさせていただくので「そこんとこ宜しく」と日本人的に振舞うのがスタートでしょうか?

妄想する馬鹿頭が疲れてきたのでこの記事はここまでで・・・お付き合いありがとうございました。

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インターネットのおかげで多くの人が情報の発信をすることが可能になった。Blogはもとより、もっとお気軽に?twitterなどでも発信できる。内容は実に様々だが、情報の入手は「自分の好み」で選別しているので「意見や見解」が近いものがどうしても多くなりがちだ。

あえて言えば「自分以外の誰かも同じような事を考え、表現している」という情報を手にすることで「安心感」を得ているのかも知れない。最近のツイッター発言だけを眺めてみてもこんな感じhttp://twilog.org/hirotamaki。自分でもhttp://twitter.com/hirotamaki/status/7664455661なこと呟いているにもかかわらずである。自戒の念を込めて発言している内容なのに気がつくと、自分好みの記事かを拾い読みをしたり、考察の中心に据えてしまっている。特にツイッターでフォローするのは「自分好み」になってしまう(w)

Readerで読み込んでいる記事やニュースは膨大になり、すべてを読み込むことはできないにしても、できるだけ偏りの無いように”自分なり”に配慮しているので自分好みにはなっていないはず(w)。

コンサルタントとして仕事をしているので、話題の豊富さ、事例の研究は必須ではある。各種の指標やデータは有効だし、なくてはならない。

しかし、思想的内容や主義主張に関する内容は常ニュートラルなポジションを保ち続けたい。

事実はひとつでも解釈は人それぞれになるのは当然である。更に、想定される事実そのものが、「自分が見聞きできる範囲でしかない!!」世界中のあらゆる事象をリアルタイムで同時に把握することができない以上、どこかに「自分なりの都合」で入りこんでくる要素があるはずだ。このことを決して忘れてはならない。

自分の見聞きできる範囲を「事実」と表現し、「その事実」を「現実」と言い換え、「自分なりに解釈・考察」をして行動を起こす。

これが正義だ!これが正しい!これしかない!これが最高だ!これが最適だ!といったところですべては「個人的」にという前提がある。誰かを否定することなく、謙虚に自分なりの意見を記事にしていけるように気をつけよう・・・

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。

意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。

どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。(夏目漱石:草枕)

漱石の美しい一節が浮かんでくるのはやっと受け入れられる経験を積んできたのかもしれないなぁ・・・

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最近、Twitterで短いコメントばかりしているので少し長めの文書を書いてみようと思う。テーマも妄想しやすいように「これからの日本を考察」する事にしておこう(w)

結論から先に記載しておくと

優先席を用意して下さい!!と世界に訴える」みたいな感じ。

要求するだけじゃ多分通用しないので、条件として

「年寄りは優しく生きてますから、どうか若い人達で好きにやって下さい。必要なら協力します。」

といったところか?

根拠としてはこちらの人口ピラミットだけです(笑)

これだけでエントリーが終わるとTWと同レベルなので、屁理屈をもう少しごちゃごちゃ書いておきます。

●将来は予想通りにならないことが多い

景気がよくなるとか、環境がどうこうとか、世界全体で見ると何がどうなるかはかなり不確定であることは否めない。おまけに今日までに試行錯誤して来た結果がここに現実として起きているのである。あらゆる分野で「全員参加の結果が今日の現実」とするなら、比較的確かそうな将来とは上記の人口の推移ぐらいかも知れない・・・ちなみに先進国でこのような形になる国は日本だけである事は見逃せない。もちろんこの人口推移とて「疫病」や「戦争」などの出来事で変化する可能性はありますが・・・

●今まではキャッチアップ指向でどうにかなった

別に戦後というだけではなく、かなり古くから日本は「文化として」あるいは「国民性として」、他国にキャッチアップすることで国の体裁を整えてきています。古くは中華圏、近代では西欧ということになるのかも知れませんが、いつの時代も「どこかに答になるモデル」あるいは「見本」が存在していたのです。しかし年寄り国は真っ先に日本が経験するので「答になるモデル」が存在しない。

●非常にユニークな成長?をしてきたので見本がない

にもかかわらず、「○○ではこうやって上手くいってる」「過去はこうやって上手くいった」と学者や有識者達がそれっぽく語っている。他国であれ、過去であれ、「見本探し」をしてるようでは「前例のない出来事」に対応出来ないでしょう?

ちなみに、このモデルは日本人全員に染み込んでいる可能性が高いので、「自分が何かの問題解決」をしようとする場合「誰かの方法」を探すでしょう?外にモデルを探す人になります。で「どうしたらよいか?」と尋ねるわけです。「モデル探索型」なのです、ものすごく効率的だし、楽です。しかし「モデル創造型」ではないので「どう在ればよいか?」となると思考停止になる人が多いのでは?悪いことではないですが、今、世界の中の日本に求められているのは、「将来どう在るべきか」を問われているいるのではないでしょうか?

だからこそ「老化先進国」としての生き方見本を世界に向けて提示する必要があるのではないでしょうか?

どこの国も経験してないのですから「問題を先取りした解決策として日本が示すしかない」でしょう?

とまぁこんな感じです。で「優しい国、日本」をコンセプトにしてすべての設計をするとどうなるか?

は一気に書けるほど簡単ではないので、というよりまともに書こうとすら思わないし(笑)、あまりにも分野が広すぎるので別の機会に気が向いたら書くことにします。

やっぱり文章吐き出し能力が衰えてきた気がする。twitter恐るべし(爆)

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学び方

On 2010年1月2日, in 4.格言, 6.空のつぶやき?, by kuu

われより哲学を学ぶべきにあらず、哲学することを学べ。 カント

謹賀新年、今年もよろしくお願いします。いきなり本題に入ります(w)

しばしば、リーダーシップ論や、教育の現場で「魚釣り」の例え話が出てきます。部下、あるいは弟子など「教えられる立場」に対して、教える立場の人は、「魚」を与えるのではなく「魚の釣り方」を教えなさい、そうすれば一匹の魚を与えるより価値があると・・・

「教え方」についてはその他にも色々な書籍があります。また「教え方を教えてる方」もいます。

学び手の代表的な質問は「どうすればいいのですか?」で、教える方は「こうすればいいのです」と答えます。上記の魚釣りも「魚の釣り方」を即座に教える。魚を与えるよりはマシかも知れませんが、即答で釣り方を教えても役には立たないでしょう。

カント風に言えば、

われより釣り方を学ぶべきにあらず、釣りすることを学べ。

もしかしたらこの「教え方」こそが大切な「方法」として必要なのではないでしょうか?私たちは知らぬうちに「安易に答え」をもらったり、与えたりします。もちろん、即答が必要な時や即答する必要のあるテーマもあるでしょう。しかし、私は「重要だと思われるテーマ」こそ自ら学び会得する必要があると考えています。

ところであなたは「学び方」を教えてもらった事はありますか?もしかしたら少ないかも知れません。先輩から仕事の仕方を「盗め」とか出来る人の「真似」をしろとか(「学ぶは真似ぶ」)、「習うは慣れう」だとか・・・「コツ」だとか「技術」などフィジカルなテーマならOKでしょう。しかし「メンタル」「知的作業」等の「内面」における「技術」はいかがでしょう。

「あなたの内面」で起きる事柄に対して「誰か」が教えたり、対応処理することはできません。あなたの内面はあなた自身でしか「作用」させられないのです。そもそもあなたの「学びたい気持ち(学欲)」がなければ「作用の起動」すらしないのです。だからあなた自身が「学びたい」と思わなければ何も学びません、そして、「学ぶ」ことは「答えを得る」とは違います。あえて言えば「学んだを知る」と言えるかも知れません。もともと知ってる事は学びがありません。学ぶ事は「未知」を「既知」にすることです。「事後に学んだと自分自身が確認できる行為全体」を学ぶというのです。予見できる事ではありません。だから「どのような事象からでも学べる」のです。この「学び方」を手にいれれば他に学ぶ必要がありません。「いつでもどこでも何からでも学べます」

だから「こんにゃく問答」が含蓄のある「落語」になるのでしょう・・・


新年のエントリーにしては説教臭いかな?(爆)

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記事としては少々古いですが、この時点でもあまり変わっていないでしょう。

「なにこれ?」って知らない商品もあるかも知れませんが、気にしない、気にしない(w)

プリウス&インサイトが1位!

Q「なぜ売れたのか」理由を述べよ!!

これに答えられる人はかなり大勢いるはずです。評論家とか2流のマーケターやコンサルタントとか(w)理屈は後からいくらでも付け足せます。そこらを歩いてる人に尋ねても気の利いた回答をしてくれるでしょう。

私は後発である、インサイトは「売れる!」と直感しましたがプリウスがこれほどまでヒットするとは思いもよらなかったです。もう少し修業が必要みたいです(w)

2位のキリンフリーは売れると思いました。自分が酒を飲まないので客観的に考察できたからかも知れません。ゴルフ場等では人気があります。

3位以下はよくわかりません(爆)ちなみにiphoneは14位です。

車に限らず、新商品を世に送り出すのは冒険です。勇気が必要になります。過去に「日の目を見ない商品」がたくさんあっと思います。あるいは短命な商品もあった事でしょう。新商品に限らず、新しい市場に進出する、新しいサービスを提供する、新しいビジネスモデルを展開する・・・どれもチャレンジが必要です。イノベーションが必須です。

イノベーターが私たちのライフスタイルに影響を与える「新しさ」を提供してくれます。決してマーケターや評論家ではありません。イノベーターは我々のニーズ(顕在化している)ではなく、ウオンツ(潜在的にある)、それも「無意識」の領域にあるかも知れない、すなわち「本人すら気がついていない欲求」を満たす価値を提供し、需要創造しているのです。

イノベーター:ユーザーが「手にして初めて欲しかった事に気がつく商品やサービス」を提供する

起業家ならイノベーターであって欲しいと願います。商売人ならイノベーションより効率性を考えた方が楽でしょう。私のコンサルスタイルはクライアントにイノベーションを要求します。なのでクライアントはほとんどいません(w)、肯定的に理由をつければ、受け手に「恐れ」があるからでしょう。否定的な理由だと「無理がある」のです。しかし、特に目新しい提案ではなく「応用」でしかないのですが、クライアントにとっては「初」になるみたいです。自分でも複数の会社を起こし、トライし続けています。こんなのとか、結果は色々ですけど(爆)

世界を変えるのは「常識を変える人」、「リーダーとは変化を創る人!!」

このブログ全体の趣旨はこの一言なのでいつも帰結はこうなってしまいます(w)

来年に向けて、「効果・効率」を追求するだけではなく、「変化・革新」を企画しても良いかも知れませんね。

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