一日遅れではありますがほぼ満月・・・
地上にはクリスマスを予感させるイルミネーション・・・
どちらもそれぞれに綺麗さはあります。月のほうが綺麗に感じるのは年齢のせいだろうか?それとも人工的な美しさに少しばかり違和感を感じるからだろうか?
今宵、瞬間とはいえ立ち止まって写真を撮ったのだから、やはり月が私に夜空を見上げるようにメッセージを贈ってくれたのだろう・・・
毎晩イルミネーションは燈っているのだから・・・
冬の関東地方は乾燥していて空気が軽く、透明感が気持ちよい。
暖かい11月の3連休、遅めの紅葉を楽しんだ人もいるのかな?
庭の山茶花はもうすぐ散ってしまう。
もみじは紅葉を見せる事も無く枯れてしまうだろう・・・
うらを見せ
おもてを見せて
散るもみじ
異常に暑かった夏も流石にどこかに行ってしまい、朝晩は冷え込みを感じるようになってきた。
庭先に最初の山茶花が11月1日に咲きました。
昨年は10月11日(http://blog-de-katari.seesaa.net/article/57645535.html)3週間ほども遅れて咲いている。自然はいつも一定の条件が整うまでその姿を現さない、いや自然そのものが大きな姿として現れているのだから当然かな?人為的な活動はいつも自然とは違い無理がると感じるのは年をとっていたからかも知れない。
立ち読みした本の一部を紹介しておこう
●高いつもりで低いのが教養
●深いつもりで浅いのが知識
●厚いつもりで薄いのが人情
●強いつもりで弱いのが根性
●多いつもりで少ないのが分別
●低いつもりで高いのが気位
●浅いつもりで深いのが欲望
●薄いつもりで厚いのが面皮
●弱いつもりで強いのが自我
●少ないつもりで多いのが無駄
「仕事は何のためにするのか?」
この問いかけは誰しも一度ぐらいは聞いたことがあるでしょう?あるいは自問自答かもしれません。
「勉強は何のためにするのか?」も同様です。
当たり前ですが
「何のために?」⇒目的を探している問いかけです。
この状態のときはおそらく「仕事や勉強」に対して十分に動機付けされておらず、生産性は低いものとなっているはずです。あるいは「仕事や勉強」を中断しているかもしれません。
では
「仕事のために何をするのか?」
似ていますがまったく違う問いかけです。
この場合
「仕事そのものが目的」になっている⇒手段を探しています。
つまり「仕事をする」が前提ですから活動的(中断していない)、もちろん手段が見つからなくて仕事が進まないことはありますが「何のために」という悩みとはまったく別次元だと考えられます。
多くの経営者は後者の質問を常に問いかけていると感じます。もしこの問いかけを常にしているなら「経営者としてのマインドを持ち合わせている」といっても過言ではないでしょう。
更に大きなテーマとして「何のために生きるのか?」と「生きるために何をするのか?」 も同様に目的を探しているのか手段を探しているのか違いがあります。正解のない目的を探すより、さっさと手段を見つけるほうが「その時は」少なくとも活動的だといえるかもしれませんね?
もし何らかの停滞感を感じたら、”問いかけ方”を「目的を探す」のではなく「手段を探す」に変更すると活路が見えるかもしれません。
まぁっ、なんだ、暫く全てのブログを中断してました。今日からまた気が向くままに書き始めようかと・・・これからはテキストベタ打ちが多くなると思います(ってどうでもいいか?)また覗きに来てください。
ちなみに過去記事は全てhttp://blog-de-katari.seesaa.net/においてあります。宜しければご覧下さい。