わかるということ…。

On 2017年8月3日, in 3.人生・問いかけ, 4.格言, by hirotamaki
■論語にある有名な学習法
「知っていることと、知らないことを明確に分けよ。それが知るということ。」
(分けるのも面倒なので)、私の基本的な構えは「知らない事だらけ」です。少し拡張すると「わからないことだらけ」とも言います(笑)
この構えで全てに対峙すると、聴きたくなるのです。これを好奇心というのか知れません。で、最もわからないのが自分の事だったりするから面白いです(笑)

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人件費は会計上はコストである事は間違いありません。だから、「安い労働力」を求めて益出しするのは合理性があります。しかしながら、仕入原価や設備と同様に扱うのはいかがなものでしょうか?「人の価値」は単純に数字に置き換える事はできません。

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京大他複数の大学で「外部知恵袋」を利用したカンニング?があったようですね。事実はよくわかりませんが、これだけの騒ぎになっているのですから「何か」が起きた事は間違いありません。ちなみに「入試問題漏洩」で検索するとこんな感じ「入試問題漏洩 – Google 検索 http://bit.ly/gMskwm

「誰がどの様にこれを実行したのか?」というポイントで盛り上がっているようです。しかし「なぜこの事件が起きたのか」を考察するほうが良いと思います。で、ココからは独断と偏見ですw

今回の事件は、今日の電脳環境からすれば、まぁ起きても不思議ではありません。さらに起きてる出来事が情報として遅滞なくネット上を駆け巡る状況です。将来はもっと高性能で便利なデバイスが出来上がることでしょう。とすれば試験問題そのものを見直す。さらに言えば教育制度そのものを見直す必要があるのではないでしょうか?

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自分でも混乱気味なタイトルです(笑)、しかし重要なテーマだと「考え」ています。

「考え方」「考え」はもちろん違います。これは説明の必要がないでしょう。例えて言うなら「料理の仕方」と「料理」の違いみたいな感じです。

「考え方」は個人的な内面の作業


「私とあなたの考えが違う」これは様々な場面で起きています。その理由は「考え」としてアウトプットされた「モノ」を比較する行為です。アウトプットされる手前の工程の「考え方の違い」があるから「考えが違い」ます。料理なら、料理の仕方が違うので、料理が違います。

考えと考え方は「微妙な違い」なので普段はあまり意識していないかも知れません。だから、「私とあなたの考え方が違う」というのは「当然過ぎる」のでおかしな表現です。



では「考え方」という工程(プロセス)はどの様になされているのでしょうか?また「その工程」を伝える事はできるのでしょうか?

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学習について

On 2011年1月8日, in 3.人生・問いかけ, 6.空のつぶやき?, by hirotamaki

下記の記事にインスパイアされたので少し書いておきます。

あなたが勉強したほうがいい4つの理由 – 読んだものまとめブログ

確かに勉強がしなくとも、すばらしい人生を送る方法はあるかもしれません。しかし、勉強したほうがいい理由だけは知っておいた方がいいことは間違いありません。私は勉強は『自律』するために行うのだと思います。これ以外にも理由はあると思いますので、コメントしていただければ幸いです。

とても良い記事だと思います。充分に同意できる内容です。

  1. 物事を理解でき楽しめる
  2. コントールできる
  3. 余裕がでる
  4. 得を知り、損を知る

彼?が言うように、これ以外にも理由があると思います。

私がこれまでの経験から少しだけ追記しておくと(蛇足というのかも知れませんがw)

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インターネットのおかげで多くの人が情報の発信をすることが可能になった。Blogはもとより、もっとお気軽に?twitterなどでも発信できる。内容は実に様々だが、情報の入手は「自分の好み」で選別しているので「意見や見解」が近いものがどうしても多くなりがちだ。

あえて言えば「自分以外の誰かも同じような事を考え、表現している」という情報を手にすることで「安心感」を得ているのかも知れない。最近のツイッター発言だけを眺めてみてもこんな感じhttp://twilog.org/hirotamaki。自分でもhttp://twitter.com/hirotamaki/status/7664455661なこと呟いているにもかかわらずである。自戒の念を込めて発言している内容なのに気がつくと、自分好みの記事かを拾い読みをしたり、考察の中心に据えてしまっている。特にツイッターでフォローするのは「自分好み」になってしまう(w)

Readerで読み込んでいる記事やニュースは膨大になり、すべてを読み込むことはできないにしても、できるだけ偏りの無いように”自分なり”に配慮しているので自分好みにはなっていないはず(w)。

コンサルタントとして仕事をしているので、話題の豊富さ、事例の研究は必須ではある。各種の指標やデータは有効だし、なくてはならない。

しかし、思想的内容や主義主張に関する内容は常ニュートラルなポジションを保ち続けたい。

事実はひとつでも解釈は人それぞれになるのは当然である。更に、想定される事実そのものが、「自分が見聞きできる範囲でしかない!!」世界中のあらゆる事象をリアルタイムで同時に把握することができない以上、どこかに「自分なりの都合」で入りこんでくる要素があるはずだ。このことを決して忘れてはならない。

自分の見聞きできる範囲を「事実」と表現し、「その事実」を「現実」と言い換え、「自分なりに解釈・考察」をして行動を起こす。

これが正義だ!これが正しい!これしかない!これが最高だ!これが最適だ!といったところですべては「個人的」にという前提がある。誰かを否定することなく、謙虚に自分なりの意見を記事にしていけるように気をつけよう・・・

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。

意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。

どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。(夏目漱石:草枕)

漱石の美しい一節が浮かんでくるのはやっと受け入れられる経験を積んできたのかもしれないなぁ・・・

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学び方

On 2010年1月2日, in 4.格言, 6.空のつぶやき?, by hirotamaki

われより哲学を学ぶべきにあらず、哲学することを学べ。 カント

謹賀新年、今年もよろしくお願いします。いきなり本題に入ります(w)

しばしば、リーダーシップ論や、教育の現場で「魚釣り」の例え話が出てきます。部下、あるいは弟子など「教えられる立場」に対して、教える立場の人は、「魚」を与えるのではなく「魚の釣り方」を教えなさい、そうすれば一匹の魚を与えるより価値があると・・・

「教え方」についてはその他にも色々な書籍があります。また「教え方を教えてる方」もいます。

学び手の代表的な質問は「どうすればいいのですか?」で、教える方は「こうすればいいのです」と答えます。上記の魚釣りも「魚の釣り方」を即座に教える。魚を与えるよりはマシかも知れませんが、即答で釣り方を教えても役には立たないでしょう。

カント風に言えば、

われより釣り方を学ぶべきにあらず、釣りすることを学べ。

もしかしたらこの「教え方」こそが大切な「方法」として必要なのではないでしょうか?私たちは知らぬうちに「安易に答え」をもらったり、与えたりします。もちろん、即答が必要な時や即答する必要のあるテーマもあるでしょう。しかし、私は「重要だと思われるテーマ」こそ自ら学び会得する必要があると考えています。

ところであなたは「学び方」を教えてもらった事はありますか?もしかしたら少ないかも知れません。先輩から仕事の仕方を「盗め」とか出来る人の「真似」をしろとか(「学ぶは真似ぶ」)、「習うは慣れう」だとか・・・「コツ」だとか「技術」などフィジカルなテーマならOKでしょう。しかし「メンタル」「知的作業」等の「内面」における「技術」はいかがでしょう。

「あなたの内面」で起きる事柄に対して「誰か」が教えたり、対応処理することはできません。あなたの内面はあなた自身でしか「作用」させられないのです。そもそもあなたの「学びたい気持ち(学欲)」がなければ「作用の起動」すらしないのです。だからあなた自身が「学びたい」と思わなければ何も学びません、そして、「学ぶ」ことは「答えを得る」とは違います。あえて言えば「学んだを知る」と言えるかも知れません。もともと知ってる事は学びがありません。学ぶ事は「未知」を「既知」にすることです。「事後に学んだと自分自身が確認できる行為全体」を学ぶというのです。予見できる事ではありません。だから「どのような事象からでも学べる」のです。この「学び方」を手にいれれば他に学ぶ必要がありません。「いつでもどこでも何からでも学べます」

だから「こんにゃく問答」が含蓄のある「落語」になるのでしょう・・・


新年のエントリーにしては説教臭いかな?(爆)

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動物学級

On 2009年12月25日, in 3.人生・問いかけ, 6.空のつぶやき?, by hirotamaki

大人の 兎、鳥、魚、・・・いろんな動物たちが集まってなにやら学校を作るようです。「子どもたちに色々と教育しなければならん」という事らしい・・何度も会議をした挙句、出てきたカリキュラムはそれぞれの特技を「全員に教える」という事になりました。 例えば兎は「走るのが得意です」なので鳥や、魚に走り方を教えます。同様に鳥は兎や魚に空の飛び方、魚は泳ぎ方・・・子どもたちは大人が教える事は大事だと必死になって「努力します」しかし、一向に上達しないし、面白くないのです。高学年になると「本来得意だった科目もできなくなってしまいました」兎は骨折し、鳥は羽がもげてしまい、魚は干からびそうです・・・しかし、それでもみな頑張って「同じような標準的な動物になりました」卓越した技能は失われたものの標準化された動物たちです。標準化された動物がたくさん仕事をするのは「生産性を向上するするにはとても都合が良いのです」(少品種大量生産の時代)規格化された部品のように機能することが重要なテーマでした・・・・。

妄想ですが、あまり笑えないのではないでしょうか?過去このような教育を善しとして提供してきたのかも知れません。幸い?私は天邪鬼(わがまま?)だったので苦労しました、もちろん今でも苦労してます(笑)、もっと遊んでおけば良かったと(爆)

しかし、いまや情報化社会になり、このような規格化された動物達だけでは生き残ることすら厳しい環境かもしれません。もしかしたら本来の「特技を世界レベルで通用させる機関」や「カリキュラム」が必要では?

兎はどれだけ速く走れるのかチャレンジするのも良いでしょう?鳥は高く飛ぶ事だけを練習すれば良いでしょう・・・そして世界レベルの卓越した技能を持ち合わせた動物達に集まっていただき、得意分野で能力を発揮してもらえばどの分野でも素晴らしい成果をあげるのではと期待できます。

我が家には3人の子どもがいます。勉強や宿題をしなさいと言わないどころか、「やりたい事をやりなさい」としか言わないです。そのせいで?2人は音楽に、一人はスポーツにしか興味がないようです(w)多分子どもは遊びながら色々興味を持って違う分野も学んでいくと思います。しかし、時代が急速に変化しない場合は私と同じように異端児扱いかも?(爆)。

いつでも学ぶ事はできるし、そもそも「教える人は存在せず、学ぶ人が存在する」と考えているくらいですから・・・・

30年もすれば否が応でも世代交代しきっています。今から引継をするおかしな親が一人ぐらい居ても良いですよね?久々に自分のこと書いてしまいました(笑)

クリスマスですね。楽しんで下さい。ではでは・・・

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