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学び方

On 2010年1月2日, in 4.格言, 6.空のつぶやき?, by kuu

われより哲学を学ぶべきにあらず、哲学することを学べ。 カント

謹賀新年、今年もよろしくお願いします。いきなり本題に入ります(w)

しばしば、リーダーシップ論や、教育の現場で「魚釣り」の例え話が出てきます。部下、あるいは弟子など「教えられる立場」に対して、教える立場の人は、「魚」を与えるのではなく「魚の釣り方」を教えなさい、そうすれば一匹の魚を与えるより価値があると・・・

「教え方」についてはその他にも色々な書籍があります。また「教え方を教えてる方」もいます。

学び手の代表的な質問は「どうすればいいのですか?」で、教える方は「こうすればいいのです」と答えます。上記の魚釣りも「魚の釣り方」を即座に教える。魚を与えるよりはマシかも知れませんが、即答で釣り方を教えても役には立たないでしょう。

カント風に言えば、

われより釣り方を学ぶべきにあらず、釣りすることを学べ。

もしかしたらこの「教え方」こそが大切な「方法」として必要なのではないでしょうか?私たちは知らぬうちに「安易に答え」をもらったり、与えたりします。もちろん、即答が必要な時や即答する必要のあるテーマもあるでしょう。しかし、私は「重要だと思われるテーマ」こそ自ら学び会得する必要があると考えています。

ところであなたは「学び方」を教えてもらった事はありますか?もしかしたら少ないかも知れません。先輩から仕事の仕方を「盗め」とか出来る人の「真似」をしろとか(「学ぶは真似ぶ」)、「習うは慣れう」だとか・・・「コツ」だとか「技術」などフィジカルなテーマならOKでしょう。しかし「メンタル」「知的作業」等の「内面」における「技術」はいかがでしょう。

「あなたの内面」で起きる事柄に対して「誰か」が教えたり、対応処理することはできません。あなたの内面はあなた自身でしか「作用」させられないのです。そもそもあなたの「学びたい気持ち(学欲)」がなければ「作用の起動」すらしないのです。だからあなた自身が「学びたい」と思わなければ何も学びません、そして、「学ぶ」ことは「答えを得る」とは違います。あえて言えば「学んだを知る」と言えるかも知れません。もともと知ってる事は学びがありません。学ぶ事は「未知」を「既知」にすることです。「事後に学んだと自分自身が確認できる行為全体」を学ぶというのです。予見できる事ではありません。だから「どのような事象からでも学べる」のです。この「学び方」を手にいれれば他に学ぶ必要がありません。「いつでもどこでも何からでも学べます」

だから「こんにゃく問答」が含蓄のある「落語」になるのでしょう・・・


新年のエントリーにしては説教臭いかな?(爆)

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大人の 兎、鳥、魚、・・・いろんな動物たちが集まってなにやら学校を作るようです。「子どもたちに色々と教育しなければならん」という事らしい・・何度も会議をした挙句、出てきたカリキュラムはそれぞれの特技を「全員に教える」という事になりました。 例えば兎は「走るのが得意です」なので鳥や、魚に走り方を教えます。同様に鳥は兎や魚に空の飛び方、魚は泳ぎ方・・・子どもたちは大人が教える事は大事だと必死になって「努力します」しかし、一向に上達しないし、面白くないのです。高学年になると「本来得意だった科目もできなくなってしまいました」兎は骨折し、鳥は羽がもげてしまい、魚は干からびそうです・・・しかし、それでもみな頑張って「同じような標準的な動物になりました」卓越した技能は失われたものの標準化された動物たちです。標準化された動物がたくさん仕事をするのは「生産性を向上するするにはとても都合が良いのです」(少品種大量生産の時代)規格化された部品のように機能することが重要なテーマでした・・・・。

妄想ですが、あまり笑えないのではないでしょうか?過去このような教育を善しとして提供してきたのかも知れません。幸い?私は天邪鬼(わがまま?)だったので苦労しました、もちろん今でも苦労してます(笑)、もっと遊んでおけば良かったと(爆)

しかし、いまや情報化社会になり、このような規格化された動物達だけでは生き残ることすら厳しい環境かもしれません。もしかしたら本来の「特技を世界レベルで通用させる機関」や「カリキュラム」が必要では?

兎はどれだけ速く走れるのかチャレンジするのも良いでしょう?鳥は高く飛ぶ事だけを練習すれば良いでしょう・・・そして世界レベルの卓越した技能を持ち合わせた動物達に集まっていただき、得意分野で能力を発揮してもらえばどの分野でも素晴らしい成果をあげるのではと期待できます。

我が家には3人の子どもがいます。勉強や宿題をしなさいと言わないどころか、「やりたい事をやりなさい」としか言わないです。そのせいで?2人は音楽に、一人はスポーツにしか興味がないようです(w)多分子どもは遊びながら色々興味を持って違う分野も学んでいくと思います。しかし、時代が急速に変化しない場合は私と同じように異端児扱いかも?(爆)。

いつでも学ぶ事はできるし、そもそも「教える人は存在せず、学ぶ人が存在する」と考えているくらいですから・・・・

30年もすれば否が応でも世代交代しきっています。今から引継をするおかしな親が一人ぐらい居ても良いですよね?久々に自分のこと書いてしまいました(笑)

クリスマスですね。楽しんで下さい。ではでは・・・

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まずはこの辺りをご覧下さい。

国債及び借入金並びに政府保証債務現在高

国債残高の国際比較

単位が「兆」なのでピンとこないというか現実感がないというか・・・いまひとつなんとも掴みどころがない気がしませんか?

それでですね、下記の引用ページをゆっくり読んで見て下さい。

家計が破たんしそうです。助けてください! : 生活・身近な話題 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

我が家は大家族です。
お爺さんが昔大きな事故を起こしたせいで今まで多額の謝罪金なんかも払ってきましたが、それでも昔は収入もいっぱいあって、勝ち組の生活を謳歌してました。
それがバブルが弾けてから激変。
バブルで覚えた生活はなかなか変えられず、収入は減っているのに支出は増える一方。
いまや年収は400万を切るまで落ち込んでいるのに、支出は900万を超えるぐらい、のこりの500万は借金でまかなっています。借金総額も6000万を超えるくらいまで膨れました。

今のところ保有する資産(土地や株式)が多少あるのと一応信頼のある古い家ということもあって・・・

いかがでしたか?とても身近に感じませんか?コメントを読まれましたか?もし読んでいないなら是非読んでください。実に見事な「プレゼン」だと思います。コメントの中には「普通に」(文面どおり受け止めて)コメントしてる方もいます。「もう破綻してますよ」とか「弁護士に相談した方が良いですよ」とか・・・でも何人かのコメント読むと「スケールダウンした日本の状況」だとわかりますね!ただ、日頃から冒頭にあるような数字に馴染んでいなければ「個人の家計破綻」としか読めないかもしれませんが・・・

「終わってますね」と言われても困りますよね?対応できる弁護士も見当たらないし(笑)

とはいえ、国債買ってる大部分が「日本国民」だから「身内の貸し借り」になっちゃってるのが怖いでしょう?例えが適切かどうか判りませんが、飲んだくれの父ちゃんが、コツコツ仕事してる母ちゃんから金借りてる感じでしょうか?で最後に「ごめん、返せない許して・・」とか?皆さんはこの状況ならどうしますか?

経営コンサルタント的に言えば(企業経営の3つのポイントと同等にみなせば)以下になります。

  • 売り上げを上げる(GDPを伸ばす)
  • コストを下げる(行政改革)
  • 資金調達(GDPの中の税収を増やす:増税)

しかし、現実はどうも上手く機能してないのでは?成長戦略も見当たらず、なんとなく事業仕分けなど実施して雰囲気は出てますが、イマイチだし、予算90兆円!?!? 、この記事の主題とは違うのでやめますが、なんとかなるのか?

余談が長くなりましたが、

「プレゼンテーションは相手にどれだけリアリティーを感じさせるか!!」

ですね

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無知の知

On 2009年10月21日, in 4.格言, 6.空のつぶやき?, by kuu

有名なのでこの言葉は知ってる人も多いでしょう。細かいことはコチラWikipediaに譲るとして、

  1. 「知っていること」を知っている
  2. 「知らないこと」を知っている
  3. ここまでは「私は知ってる/知らない」と自分で表現できることなので、誰でも了解できる。

  4. 「知っていること」を知らない
  5. 「知らないこと」すら知らない

この2つはまず自覚がないので、誰でも了解できるとは言いがたい。当たり前か?

おまけに「4.知らないことすら知らない」という範囲が圧倒的に大きいというか多いこのが現実でしょう。

で、この記事で何を書きたいかというと、仕事上でも、生きる上でも、我々は「自覚できる範囲」でしか考察できないということです。

知識を積み上げも知識の山ができるだけで最終的には「無知の知」を知ることになるでしょう。

もし、あなたが「仕事で成功したい」「人生を豊かにしたい」と考えているなら、「知ること無しに行動」する事をお勧めします。

「何かを知る」ことが重要なら「知識を増やせばよいでしょう」

「何かを得る」ことが重要なら「行動を増やせばよいでしょう」

いくら考えても、「自覚できる範囲」を超えることはないのですから・・・

知識を知識のまま保有していても何も生み出しはしないのです。一昔前に「創造的破壊」という少々過激な言葉がありました。この言葉だけを知っていてもなにも現実は変わりません。「創造的破壊」という言葉通り「活動した人がいた」から現実にも変化が現れたのでしょう。

過去にそれなり事を成し遂げた人たちは、事業であれ、研究であれ、芸術、スポーツ、文化・・・どのような分野であれ「活動・実行」をした人達です。彼/彼女達はもともと知識があったのではなく、実務的に行動して手に入れてきた知識あるいはそれが昇華され知恵として価値があるのでしょう。 自らの体験によって会得した知識に価値があるのでしょう・・・。だからこそ「知ること無しに行動」する事をお勧めします。

「何かを知る」ことが重要なら「知識を増やせばよいでしょう」

「何かを得る」ことが重要なら「行動を増やせばよいでしょう」

いくら考えても、「自覚できる範囲」を超えることはないのですから・・・

知りてな見そ、見てな知りそ・・

(注)この記事は「おとな」を対象にしています。あまりの無知はやはり危険ですから(笑)

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学欲?

On 2009年10月13日, in 6.空のつぶやき?, by kuu

学力について考えてみた。(受験生を持つ親として?)

学力を数値化(主にテスト)する必要性、あるいはその数値で測定した結果を「評価」として使うことの価値を考えてみただけではあるが・・・

学力ってどんな「チカラ」なのか?

身体機能の握力とか、脚力と同じように「チカラ」の数値化をする必要があるのだろうか?またはできるのだろうか?あるいは、機械性能やその他のモノの「○○力」と同じように数値化する必要があるのだろうか?・・・

学校教育などの基本は「人として成長」するよう設計されているのか?(そうであって欲しいが・・・)

学力テスト等「試験」は概ね「知識力」であり学力というより「暗記力」のような気がする。

論理的に「考える」といっても論理を支える知識が必要なのは明白だ。とすると学力という言葉はどうも不適切で、試験日までの教育の結果、すなわち「知識蓄積量」の測定をしているだけではないのか?

学力とはそもそも「学ぶチカラ」なのでは?更に踏み込んで表現をすれば、「学びたい」この気持ちの強さが「学力」ではないのか?とすれば、数値化するのはナンセンスでは?更にその数値を「チカラ」として序列をつけているのは滑稽だ。また他人と比べる必要もないだろう。完璧には 同じと 言えないが、「食欲」「睡眠欲」「性欲」と似たようなものだ。 むしろ生理的欲求に近い・・・「まさか点数化して比較したり序列をつけたりはしないだろう(笑)

現在の義務教育現場はよく知らないが、「生徒だった」自分の経験からすると、

「より上手く生活できるように」という教育だったようだ・・・

本来は「よりよく生きるように」ではないだろうか?

親としてわが身を省みるなら、

「成績が悪くても、役に立つ人となれ」

「主体的であれば何をしてもOK、何をしなくてもOK」

と子供達に伝えている。果たしてどうなることやら・・・

ただ、逆説的な表現になるが、その結果現在の私が居るのだからなんとも言いがたい(笑)

「学欲」さえあれば、いついかなる場合でも学べる。

「万象ことごとく師なり」といったところか?

こちらも関連するかな?

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次の2つをご覧下さい。

まずはChalie Chaplin

次は龍が動いてるわけではありません。しかし、龍の目が追いかけてくるでしょう・・・(Paper dragon)

どうですか?

我々は「・・・なはず」という思い込みでしかモノを見てないかもしれませんね。見たいようにしか見えないのは、過去の経験が「正しいはず」という思い込みでしょうか?もちろん大方はそうかもしれませんが、たまには「正しくない」事もあるのでは?

2つの動画は「顔は鼻の部分が高いはず」というデータ(経験)が蓄積されていて、そのデータが「正しいように見ようとする」 つまり「自分に都合のよいよいうに」フィルターをかけているのでしょう・・・フィルター無しで見るには難しいですね

モノを見るだけではなく、「自分の見方、考え方」は「自分にとって都合のよい正しさかもしれません」

たまには「まったく違う見方.考え方をする」のも悪くないかも?

そうでないと見逃す「事」があるかもしれません。

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2009momiji.jpg
経済危機克服のための「有識者会合」

特に専門家ではないので的外れかも?

しかし、どうも違う気がするなぁ・・・

人為的に長きに渡って積み重ねられた「すべての活動」が今日の社会を作ってきたのは明らかで「必ずしも専門家」の思い通りになってないだけでは?

有識者とは一体誰なんだろう?過去のどこかに「似たような条件」があったのかもしれないが、過去のどの時点にも「同じ条件」が無いのだから「これからの施策」の有効性は誰も想定することはできない。せいぜい「有識者達の期待が一致する」程度だろう。

実は圧倒的大多数の「国民」と呼ばれる、彼ら(有識者)からは「顔」が見えない人が社会を構成している。

そこには「国民」とか「一般人」とか「市民」とか「普通の人」 。。。というよな人はどこにもいない。

それぞれは「個人」として「名前もあれば顔もある」

老人も「○○さん」であって一人ひとりの人生観に基づいたライフスタイルを持っているはずだ。

計画経済が十分に機能しなかったのは壮大な実験によってわかっているのではないのか?

「国民はそれほど計画的に生きてるわけではないのだよ!!」

資本主義も行き詰ってきているのではないのか?

「国民はそれほど馬鹿ではないのだよ!! 」

「必要なものと、欲しいものを区別する」知恵はもう十分に持ってるいるはずだし、マスメディアに煽られるほど無能ではなく、個々人が「自分の価値」を知ってるはずだ。

時が来れば、誰にとっても最適化された社会が創出されていると考えるのは甘いのかなぁ・・・

*写真はこの時期のもみじ、桜が注目されてる春に、秋の準備を始めている。。。

こちらは昨年

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sazanka1024.jpg

景気が悪くなって、国の指導者達?が色々と考えているようだが、過去にも似たような局面で色々と施策が打ち出されてきた。もちろん「似た様な」というだけで同じではない。しかし「似たような施策」しかでてこないだろう・・・

「お金」あるいはそれ相当の価値があると人々が判断した結果が今日の社会を作ってきたのだから、何に価値があるのかを問い直さない限りはパラダイムは変わらない。

もしかしたら、大きな間違いを世界中で起こしているのでは?「価値があると思い込んでいる」だけで実際は勘違いだったなんてことはよくあることだ・・・過去のオランダのチューリップ、日本のゴルフ会員権・・・

有価証券を含めモノの値段は「お金」で表現される、価値があると判断すれば「一般的には高くなる」。しかしお金そのものが「有価証券」でその基準がどうも明確ではないのが「今の時代」なのかもしれない。

お金は便利な道具であって、それそのものに価値があるとすれば「使うことの便利さ」だけである。使わない道具は価値がないと考えられないだろうか?ちょいとわかりにくさがるのは「劣化しないと思われてる道具」だからだ・・・「劣化しそうになると価値が上がりそうな”何か”を買って保有する」・・将来に投資するというやつか?それほどまで「資産価値」を増やしたいのだろうか?単にコレクションとして趣味程度でよいのかもしれないのに・・・

道具は保有することで役に立つのではなく、使うことで役に立つのであるのだから・・・

タイトルの「気分が良いかどうか」は個人の価値観。「お金を使って遊ぶ」「お金を儲ける」・・・お金を中心にした気分の良し悪しは旧来ののパラダイムそのものなので「見直し」をした方が良いかもしれない ・・・

お金が価値を失ったとき、何を基準に生き、どのように行動するか?

また、学ぶべきモデルはどこにあるのか?一人ひとりがそろそろ準備しておいても良いかもしれない・・・

とまぁ、このあたりのテーマに深入りすると面倒なのでこの辺でやめておこう(笑)

写真は裏庭の「山茶花」、10月24日に咲いた。昨年より一週間ほど早い。http://www.bestmax.com/bmblog/2007/11/post_3.html

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