明けましておめでとうございます。昨年に引き続きどうか本年もよろしくお願いします。
昨年、個人的には仕事も趣味(ゴルフ)も停滞気味というか「学習」の年だったと感じています。社会人として30年近く突っ走てきて少し踊り場が必要な時期だったのかも知れません。お陰さまで、体調はますます良好!気力も充実しています。今年はまた、突っ走るつもりです。次の踊り場はもう用意されていないでしょう。世界を引っ張るつもりで生きてみようかと!!(チョット大げさかw)
正月なので景気回復について、少しぶっ飛んだエントリーを書いておきます。
景気はシュリンクしてる様でどうもパッとしないニュースが多いですが、「そういう風に報道」しておくほうが無難なだけです(景気が良くなれば誰も文句は言わないし、悪いままなら「予想は当たった」と言えるので無難なのです)。
しかし、財布の紐は「将来の明るい展望があれば緩む」ものです。大勢がほんの少し「緩める」だけで景気は良くなるでしょう。大手メディアが「馬鹿みたいに先々がとても明るい!心配ない!」と連呼して、アドホックなデータで、なんとなく理屈をつけておけば間違いなく盛り上がる気がします。
情報操作をして、世論を誘導し、くだらん芸能ニュースや、おちゃらけ政治批判とかしてないで「がんがん景気を煽って牽引」すれば良いのにと思います。まっ、組織が大きくて古ぼけた頭じゃ無理だとは思いますけどね。
本当は、先のことなんか誰も分からないし、過去の推移からの想定やどこかの国もモデルをケーススタディしても、多分その人達の自己満足です。だって、今日のこの状態を計画してきたと言い切れる人が何処にいるのでしょう? 誰も「こんな風になる」とは思っていなかったのではないでしょうか?更に、闇の権力とかくだらん事を言い出したらキリがないし、もしおかしな権力が有るなら、結局何やってもだめですからね(爆)将来予測が無用だと言ってる訳ではありませんよ!とても重要だと思います。そして必須です。
(注)私は学者じゃないので学術的に書いても説得力がないし、経済や金融の専門家と称する方々の記事でも読んで、なんとなく考察してくださいね。
では、一人ひとりはどう生きれば良いのか?を少し書いておきましょう。
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11月、12月の二ヶ月で86本目(3つブログ)の記事なる。おおよそ1.5本/日に一つのエントリー・・・仕事柄「表現する」ことは当たり前だとしても最近は書きたい事が山ほどある、にもかかわらず、Twitterで適当に呟いて終わってしまうことも多い。充分に考察し、ブログに書いておきたいと思っても「インスタント」に処理できる手軽さに流れてしまうのか?所詮自己満足の範囲を超えないけれどTLで流れ去って行くのはなんとも忍びない(w)来年からはもう少しブログとTwitterの使い分けをしてみよう・・・
今年、このサイトで最も読まれた?のはなんと「ロウソクの科学」少々意外、理科系の人が多いのかな?ちなみにgoogleで検索するとamazonの次に表示されるのだから頷けるけど、ロウソクの科学で検索するのはどんな人だろう、中学生ぐらいか?学校の宿題で感想文でも書けと言われたのか?だとしたらこの記事は役に立たない(w)
このブログは誰かの役に立てば良いかな・・・と思って書いているけれど、読み手は「大人」「経営者」「リーダー」を想定している傾向があるので期待外れだったかな?
ところでブログを書いてる人は理科系の人が多いのか?私ぐらいの年齢では学生の頃「オタク」とは呼ばれなかった。近い言葉としては「マニア」だろう。「オーディマニア」とか、でどちらかといえばハードに関心が強かった気がする。自分で作るとか・・・とすると多少なりとも理系的知識が必要なので理屈はあいそうだ。まぁどうでも良いことだけど・・・
ちなみにマニアはWikipediaによれば以下のごとく興味のある人はどうぞ。
マニアの語源はギリシャ語で狂気(madness)のことであり、自身の趣味の対象において、周囲の目をも気にしないようなところもある事から、「~狂(きょう)」と訳され、ほぼ同義のものとされる。同様の表現としては「○○バカ」に代表されるバカも挙げられる。尚、英語でマニア(Mania:正確な発音は「メイニア」)とは、熱狂、熱狂の対象あるいは精神疾患の1つである躁病を意味する言葉であり、日本語で言うところのマニアに該当する言葉にはマニアック(Maniac)の他、エンスージアスト(Enthusiast。日本語でもエンスーなどと略して使用される)などが挙げられる。また、日本ではマニアやオタクとほぼ同義に用いられているフリークス(Freaks)という言葉は、英語では「奇人・中毒者」などの意味を持つ。[1]・・・・
「精神疾患」までいくと何ともいえないが、何かに「熱中」できるのは幸せだろう・・・「夢中」といえば更にわかりやすいかな?
迷いなく、すべてに最優先する「テーマや対象」を持てば積極的、主体的に関われる、健康的な感じがある。
個人的には、今年は後半仕事優先してしまった(w)。ゴルフを優先したいが、ゴルフは「精神疾患」になりそうなので怖い(爆)
さてさて、来年はどんな一年になるかな?
おっと!優先的に「年末というより月末」の処理しないと!! 🙄
asahi.com(朝日新聞社):北朝鮮、デノミを公式確認 社会主義経済への回帰を強調 – ビジネス・経済
朝鮮新報は「1人あたり10万ウォンまで」との指示が出たとされる限度額には触れなかった。ただ、当局者は「銀行預金の金は10対1で交換する。預金を奨励している」と語ったほか、「流通量を減らし、貨幣の価値を高める」とも説明し、交換できる限度額を定めたことを示唆した。
デノミはとにかくとして(本来は軽く流さない方が良いのですが・・・w)”限度額”って凄いです。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=123504&servcode=500§code=500ではもう少し具体的な内容になっていますが、豪快というか強引というか激しいです。ただ、格差を一気に解消する方法としては見るべき箇所もあるかもしれません。
格差がよろしくない。だから、「格差を減らしましょう・・・」と本気で思うならこんな荒っぽい方法もありかもしれません。一部のお金持ちからはブーイングでしょうが大多数はOKな感じがあるのでは?もちろん限度額がかなり低めに設定されても我が家はなんの影響もないので考えることすら必要なしです(笑)しかし、これを決定する人たちが「お金持ち」というか、色々合法的な相続対策とかしてる政治屋さんだからむりでしょうね・・・そもそも格差是正といってもその格差の上で「格差を満喫」してる方々ですからやる気ナッシングでしょう?(ニュースの信憑性も含め)個人的にはどうでも良いと受け止めていますけど・・・・。
ただ、12月、世間ではこの年末に向けて師が走るのではなく、「中小企業の社長」が走るでしょう。このあたりの実感が分からない人達が日本をどうのこうのといっても多くを期待できないでしょう?中には円高だし正月は海外で過ごそうと休みのことを空想してる人も居ることでしょう・・・ちなみに私は普段から走り込んでるので、年末だからと言って走る必要はありません。通常の月と同じように駆け抜けるだけです。月末の鍛え方が違いますから(泣く)
まずはこの辺りをご覧下さい。
単位が「兆」なのでピンとこないというか現実感がないというか・・・いまひとつなんとも掴みどころがない気がしませんか?
それでですね、下記の引用ページをゆっくり読んで見て下さい。
家計が破たんしそうです。助けてください! : 生活・身近な話題 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
我が家は大家族です。
お爺さんが昔大きな事故を起こしたせいで今まで多額の謝罪金なんかも払ってきましたが、それでも昔は収入もいっぱいあって、勝ち組の生活を謳歌してました。
それがバブルが弾けてから激変。
バブルで覚えた生活はなかなか変えられず、収入は減っているのに支出は増える一方。
いまや年収は400万を切るまで落ち込んでいるのに、支出は900万を超えるぐらい、のこりの500万は借金でまかなっています。借金総額も6000万を超えるくらいまで膨れました。今のところ保有する資産(土地や株式)が多少あるのと一応信頼のある古い家ということもあって・・・
いかがでしたか?とても身近に感じませんか?コメントを読まれましたか?もし読んでいないなら是非読んでください。実に見事な「プレゼン」だと思います。コメントの中には「普通に」(文面どおり受け止めて)コメントしてる方もいます。「もう破綻してますよ」とか「弁護士に相談した方が良いですよ」とか・・・でも何人かのコメント読むと「スケールダウンした日本の状況」だとわかりますね!ただ、日頃から冒頭にあるような数字に馴染んでいなければ「個人の家計破綻」としか読めないかもしれませんが・・・
「終わってますね」と言われても困りますよね?対応できる弁護士も見当たらないし(笑)
とはいえ、国債買ってる大部分が「日本国民」だから「身内の貸し借り」になっちゃってるのが怖いでしょう?例えが適切かどうか判りませんが、飲んだくれの父ちゃんが、コツコツ仕事してる母ちゃんから金借りてる感じでしょうか?で最後に「ごめん、返せない許して・・」とか?皆さんはこの状況ならどうしますか?
経営コンサルタント的に言えば(企業経営の3つのポイントと同等にみなせば)以下になります。
- 売り上げを上げる(GDPを伸ばす)
- コストを下げる(行政改革)
- 資金調達(GDPの中の税収を増やす:増税)
しかし、現実はどうも上手く機能してないのでは?成長戦略も見当たらず、なんとなく事業仕分けなど実施して雰囲気は出てますが、イマイチだし、予算90兆円!?!? 、この記事の主題とは違うのでやめますが、なんとかなるのか?
余談が長くなりましたが、
「プレゼンテーションは相手にどれだけリアリティーを感じさせるか!!」
ですね
この数字何だか絶叫マシン並に激しすぎる(笑)
タイトルにあるようにヘッジファンドのマネジャー達(リーマンショック前)の年収です。
Millions ?? 一瞬ピンと来ないので、1$=100円計算、自分が間違ったんじゃないかって思える・・・
John Paulson さんの年収3,700億円!!!!
この数字がまた、微妙に面白い金額で3700億円をググルとディズニーがマーベルを買収する金額だったり、13年経過の自動車廃車の補助金予算が3700億円だったりするのです。
彼らが違法に稼いだわけではなく、金融ビジネスの一番美味しいところを持っていた?持って行った?ということでしょう。こけそうなところに公的資金(税金)つぎ込んで何とか維持させられている大手金融機関のすぐそばにこんなに稼いだ人がいるんですね(爆)
んでもって、世界中がビックリするようなリーマンショックが起きて、日本は不景気なまま今日に至る ・・・って所でしょうか?
地味にコツコツ仕事してもまともに稼げないのに、なんだかアホらしくなる。彼らも物凄く仕事してるだろうけど?・・・・・仕事のフィールドが違うとはいえ(あるいは国が違うとはいえ)日本の資産家といわれる人達が何年もかけて築いてきた金額をたったの365日で稼いでる(爆)・・・一体何に使うのかな?
瞑想さえしてれば、本来満たされる私にとっては「有るも無い」も同じですが、ここまでくるとさすがに呆れる。
「立って半畳 寝て一畳 息子は立っても※インチ(爆)」
※はご自分のを当てはめてください!女性の場合は彼氏に教えてあげてください!gyaha!
注)このエントリーはどこかのサイトで拾い読みしてインスパイアされましたが、どこだか彷徨いすぎてわからなくなりました(w)本来はTBしたかったのに・・・ すいません、先に取り上げた方には失礼しました。
特にECOなエントリーと言うことではなく、なんとなく「モノ」について考えたみた。と言っても常々そう思ってることなので個人的には新しい発見があるわけではない。ただ、このような(写真の)サイトを見ると物凄くはっきりと認識できる。
そもそも人が作った「モノ」はそれがどれほどの手間をかけて作られかどうかにかかわらず、いずれは「ゴミ」となる。天然のままの「モノ」木とか石とかをそのまま加工しているならゴミと表現できないかもしれないが、大方はゴミである。
そう考えると、我々は(経済社会は?)耐久年数が長いか短いかの違いこそあれ 、「いずれゴミとなるモノ」を「商品」と称して製造し、それを購入しているわけだ。身の回りにある「モノ」で例外はほとんどない。
もちろん、モノ 「自体の価値」より モノが「提供する価値」 にお金を支払っているのである。
(お金はその意味で特殊ではある)
自分にとって思い入れのあるモノでも、他人からみればガラクタと言うこともあるし・・・・
あらためて考えると「土地の値段」も概ね経済価値で評価されているので「極論すればゴミの価値」 なのか?田舎と言われる「豊かな自然に恵まれた土地」の方が安いのはありがたいのかも知れない。おそらく、健康的なライフスタイルだし、ゴミも少ないような気がするのは気のせいか?
まぁ「便利さ」という価値は少ないかもしれないが、十分に人生をエンジョイできるだろう・・・
便利さを手に入れるために、必死に仕事をして ゴミに囲まれた地価の高いエリアに住み、健康を害してしまっているとすればとても滑稽である。
本当に大切なのは「コト」として体験する。その体験のために 社会が機能するよう、グランドデザインを変更する賢人が現れない限り、「モノ」に囲まれたライフスタイルが続いてしまうのかなぁ・・・
特に専門家ではないので的外れかも?
しかし、どうも違う気がするなぁ・・・
人為的に長きに渡って積み重ねられた「すべての活動」が今日の社会を作ってきたのは明らかで「必ずしも専門家」の思い通りになってないだけでは?
有識者とは一体誰なんだろう?過去のどこかに「似たような条件」があったのかもしれないが、過去のどの時点にも「同じ条件」が無いのだから「これからの施策」の有効性は誰も想定することはできない。せいぜい「有識者達の期待が一致する」程度だろう。
実は圧倒的大多数の「国民」と呼ばれる、彼ら(有識者)からは「顔」が見えない人が社会を構成している。
そこには「国民」とか「一般人」とか「市民」とか「普通の人」 。。。というよな人はどこにもいない。
それぞれは「個人」として「名前もあれば顔もある」
老人も「○○さん」であって一人ひとりの人生観に基づいたライフスタイルを持っているはずだ。
計画経済が十分に機能しなかったのは壮大な実験によってわかっているのではないのか?
「国民はそれほど計画的に生きてるわけではないのだよ!!」
資本主義も行き詰ってきているのではないのか?
「国民はそれほど馬鹿ではないのだよ!! 」
「必要なものと、欲しいものを区別する」知恵はもう十分に持ってるいるはずだし、マスメディアに煽られるほど無能ではなく、個々人が「自分の価値」を知ってるはずだ。
時が来れば、誰にとっても最適化された社会が創出されていると考えるのは甘いのかなぁ・・・
*写真はこの時期のもみじ、桜が注目されてる春に、秋の準備を始めている。。。
どうも、おりこうさんん達?と言うか色々な専門家が昨今の景気の悪い状況を打破しようと、ごちゃごちゃしてるようだ?
お金の周辺だけいじってもきっと効果はあまりないと思うのは私だけだろうか?「100年に一度」の経験をしていると言われているが本当だろうか?実際は世界の経済環境も、国々の状況(国力?)もまったく様変わりしており、この100年間に経験したことがないことはずだ。つまり「誰もが未経験」なのだ。
それなのに、過去からの延長でものを考えているのはいかがなものか?
「価値がある」と考えられているものが「価値がなくなっていく」
この大きな変化を見逃してはならにだろう・・・
未来は不連続且つ非線形であり、変化のスピードは加速度を持つことに注目しなければならないだろう。
資本主義の内包的問題として「もっと、もっと」という「人間の欲に際限がない」にもかかわらず、「際限のない欲に応えきれない」ことは明らかだ。
変化を嫌う生き物であるにもかかわらず、変化をしなければならない葛藤が見え隠れするのが現在社会なのかもしれない?
量をテーマにしたモデルではなく質をテーマにしなければならないだろう。
企業や組織レベルでいえば「収益=社会貢献」というごまかしはもう意味を成さない・・・
個人レベルでは「どれだけ稼いだか、あるいはどれほどの資産があるかではなく、どんな生き方をしてきたか? 」を問うべき時期なのかも知れない。
個々人がこの問いかけに明確に呼応するなら、企業や組織さらには社会や国という「概念」そのものを変える力になるだろう。 社会や世間あるいは世界は個人の集合体でしかないのだから・・・
これ(過去のエントリー)は少し参考になるかもしれないなぁ・・・